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第五番札所 葛(ふじ)井寺
商店街を抜けると五番札所
べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり 近鉄藤井寺駅から徒歩約5分、駅前から続く商店街のアーケードを抜けると、左手に立派な朱塗りの四脚門が建っている。この四脚門は、慶長六(一六〇一)年に豊臣秀頼により建立された旧南大門を、天明五(一七八五)年、西門として現在地に移築したものといわれており、国の重要文化財に指定されている。べんべん一行はその四脚門の南側、江戸時代に再建された堂々とした佇まいの南大門から、第五番札所葛井寺の境内に入る。


人々に囲まれるべんべん その南大門付近で遊んでいる近所の保育園児と思われる集団が、べんべんを見つけ早速駆けつけハイタッチを求める。また、膝に乗りかかる園児も出てくる。しかし、この年頃の子の反応は微妙で、平気な顔で近づいて握手を求める園児もいれば、後ずさりするもの、泣きべそをかくものと千差万別である。その子の成長過程や家庭環境が垣間見られて面白い。

 葛井寺は、そんな子供たちの安全な遊び場であり、また日頃から「観音さま」と呼ばれ、地元商店主や住民の生活と信仰を支えてきた。今までの札所のように、長い階段や森閑とした山道を歩く必要のないべんべんはほっと胸をなでおろし、得意のほら貝を吹き鳴らし、十四番札所三井寺の宣伝活動を開始する。

圧巻!国宝十一面千手観音像

 べんべん一行は御住職に来意を告げ、御朱印を受け本堂の内陣に案内される。本堂には毎月十八日以外は開扉されない秘仏、十一面千手観音像(国宝)が安置されている。

人々に囲まれるべんべん この観音像は府下唯一の天平仏で、寺伝によれば、神亀二(七二五)年、聖武天皇の勅願によって春日仏師稽文会(けいもんえ)、稽首勲(けいしゅくん)親子が制作し、行基が開眼したと伝えられている。

 残念ながらべんべんは本尊を直接拝むことは叶わず、外陣より手を合わせ、千手千眼の威力によって一切の衆生を救うという御利益を祈った。

 葛井寺の国宝千手観音像の内部は、空洞の脱活乾漆像(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)である。通常の千手観音像の腕は四十二本であるのに対し、文字通り千本の腕を光背のように広げている。中の手四十本、胸前で合掌する大きな腕二本を加えて千〇四二本の手を有するこの観音像は、現存する千手観音像としては日本最古のものの一つである。

 「端正な顔つき、のびやかな肢体は、およそ天平時代のもっとも完成された彫刻様式をみることができる。頬のふくらんだ丸い顔立ち、鼻や口唇の先を とがらせた抑揚のあるプロフィールは日光・月光菩薩像を思わせる」



右記は平成七年四月、大阪市立美術館で開催された「国宝葛井寺千手観音」 展の図録に収録された解説文の一部である。べんべんはやはり開扉される日 に訪れ、秘仏の千手観音像をゆっくり拝みたいものだと思った。

《あかん河内の葛井寺》

 平安時代後期に寺を復興した藤井安基は、実は暴れん坊で皆から嫌われており、寺へは追われるように逃げ込んできた。ここでとうとう力尽きた安基は地獄におとされ、初めて悪行を心から反省した。この様子を見た千手観音は哀れに思い、寺の本堂脇にあった井戸前に蘇生させたという。
 気が付いた安基が井戸の水を口に含むと目は輝き、力がみなぎって、以来寺の復興に力を注いだ。安基のようなあかんやつでも救ってもらえる、あかん時こそこの寺へ参ろうと、「あかん河内の葛井寺」といわれるようになったと伝えられる。




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