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第十七番札所 六波羅蜜寺
かつて六波羅の地は
 べんべんが次に向ったのは第十七番札所の六波羅蜜寺。本来の順番なら清水寺へとなるところだが、なにしろ観光客で賑わう清水の観音さまのこと、今回は雑踏を避け、あらためてお参りすることになった。

べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり  六波羅蜜寺は真言宗智山派の寺院で、いまでこそ東山区松原通大和大路を東に入った住宅街の一廓になっているが、平安時代には広大な敷地を有していた。平家政権の中心となった「六波羅第」と呼ばれた時代には、平清盛の邸宅を中心に一族郎党の屋敷五千戸あまりが建ち並び、鎌倉時代になると幕府の京都支配の拠点となる「六波羅探題」が設置されたことでも知られている。  

 

市聖空也が草創

 六波羅蜜寺は、天暦五年(九五一)に空也(九〇三〜七二年)が建立を発願した西光寺に始まる。空也は「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら念仏の教えを広めた阿弥陀聖で、病気や貧窮など救いを必要とする人々に手を差しのべた。多くの帰依者と力を合わせて道路を開き橋を架けるなど盛んに社会事業を実践し、市聖と敬慕された。  
 
 ご本尊は国宝の十一面観音立像で、十二年に一度ご開帳される秘仏である。宝物館には、念仏を唱えると口から六体の阿弥陀仏が現れたという伝説の姿を伝える空也上人像をはじめ平清盛像など多くの重要文化財の仏像が安置されている。

松原通は五条大路

  べんべんは、本堂前に参拝者を集めての法螺貝の奉唱を披露。次に本堂を参拝した後は人気の銭洗い弁財天へ。ざるにお金を入れて弁天様の神水で洗い清めると金運アップのご利益があるという。なかには洗った紙幣を乾かしている人もおられ、べんべんに如何なる事情があるのか知れないが、遅れをとらないようにと硬貨を洗って金運を願っていた。   
  
  
  
  
 さて、空也が開基した西光寺が六波羅蜜寺と改称されたのは空也没後のことである。現在の六波羅蜜寺を北に歩くと松原通にあたる。ここは六道の辻といわれている。平安の昔から京都の葬送の地である鳥辺野に近いこの一帯は、あの世とこの世の境目、冥途への入口とされていた。六道の辻から東大路へ向う途中には、お盆に「迎え鐘」を打って精霊を迎える「六道まいり」で知られる六道珍皇寺や亡くなった母がわが子のために飴を買いに来たという「幽霊子育飴」を商う店がある。   
  
 この松原通であるが、じつは平安京の五条大路にあたる。ということは、あの牛若丸と弁慶の有名な逸話の舞台になったのは、現在の松原通に架かる橋であったことになる。現在、松原通の二筋南にある五条通は、平安京では六条坊門小路にあたり、豊臣秀吉が五条大橋を移設したため現在のように名称が変わったとのことである。   
  






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