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1.天才絵師・狩野永徳の長男として生まれる 狩野光信(1565〜1608年)は、豪華絢爛を極めた桃山美術を代表する天才絵師・狩野永徳の長男として生まれました。若い頃から父永徳と共に織田信長の安土城や豊臣秀吉の聚楽第に画筆をふるいました。しかしながら、残念なことに彼の作品の多くは戦乱で失われてしまい、今日伝えられる光信の代表作とされるのが、三井寺勧学院の障壁画なのです。他には京都の妙法院や高台寺、法然院などにも作品が残っています。 2.三井寺勧学院の障壁画(重要文化財) 三井寺山内の勧学院客殿(国宝)の内部には、狩野光信による障壁画が一之間、二之間合わせて39面残されています。一之間には、正面の大床の「滝図」を中心に四季を巡る花々が、ニ之間の襖には、様々な姿態をみせる鳥たちが描かれています。光信の画風は、永徳の豪壮な作風とは異なり、大和絵の伝統を取り入れた繊細優美なもので、自然な奥行きのある構成や繊細な形姿の樹木や金雲などに特色があります。その後の狩野派に大きな影響を及ぼし、近年ますます評価が高まっています。 3.1608年6月4日、桑名市で急逝 織田、豊臣、徳川と三家に仕えた狩野光信でしたが、1608年6月4日、幕命で赴いた江戸から京都へ帰る途中、桑名で急逝します。享年43歳でした。三井寺では、2008年5月23日、光信が葬られた三重県桑名市にある寿量寺にお参りしてきました。このお寺は、桑名の中心部、旧東海道に面した日蓮宗の寺院です。境内を入って参道のすぐ左手、高さ60センチほどの五輪塔があります。これが光信のお墓で、いまも桑名市指定史跡として大切に守られてます。訪ねたときには、境内の掃除されていた先代住職の奥様からお話を聞かせていただき、持参した供養塔婆を墓前に供えてお参りしてきました。 <<2008年ピックアップ一覧 | 准三宮道澄 没後400年 >>
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