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大阪府の新羅神社(3)

一.浪速区にある新羅神社
  木津川沿いに白木神社がある。浪速の新羅洲にあった新羅神社である。祭神は市杵島姫命である。素戔嗚尊の子神で宗像神社の奥津宮に坐す姫神である。かつての新羅洲にあたる北堀江の土佐稲荷神社(現存)が宇賀御魂命と素盞鳴命を祭っていることを考えると、白木神社境内にある稲荷社にもかつては素盞鳴命が祭られていたのかも知れない。
  神社は淀川の支流、木津川沿いの浪速区木津川二丁目にある。木津川の西側は大正区、南は西成区である。神社は難波(浪速区)から南海電車に乗り五つ目の駅「岸里玉出駅」で汐見橋線に乗り換え「木津川駅」で降りる。この線の駅名は岸里、津守、芦原、汐見など海にちなむ名が多く、かつてのこの辺りは大阪湾の一部であったことが判る。終点の汐見橋の北側は道頓堀川が流れている。また、岸里玉出駅の南には、住吉大社の駅がある。住吉大社も大阪湾岸(住吉津)にあったといわれている。

  白木神社はマンションや工場に囲まれた場所の一角にある。木津川駅は駅員一人。駅から下の道路に降りて30m程歩く。左手に高速道路、右側には工場や倉庫が並び、一見して下町の風景である。高速道路の下を通り抜ける道路があり、その道路に沿って進むと右手前方に大きなアパート群が見えてくる。その手前を右に曲がり100m位歩くと神社である。神社の右手前は「ミナミ土木建設」と書かれた看板と倉庫がある。神社との境目は鉄板のような壁である。神社の左側には下水工事中の看板があり、資材置き場となっており金網が張ってある。神社はきれいに清掃されている。敷地はあまり広くない。正面右手に1m位の高さの石垣があり、その上に朱色の文字で「白木神社」と書いた石碑が建っている。参道の平らな石畳を少し入った所に石造の明神鳥居があり、左右の柱には朱色で奉納と刻まれ、石の扁額に朱塗りで「白木神社」の文字が書かれている。20mくらいの長さの参道の左右には5〜6mの樹木が植えられている。境内には手水舎、百度石、石灯籠、獅子の大きな像などが置かれている。社殿の右手には流れ屋根を持つ稲荷社の小さな祠や七重の層塔もある。本殿の前に池があり橋が架かっている。拝殿の中に、世話人代表が書いた「白木神社の社殿の修理に係わる決算書」なるものが掲げてあった。拝殿は瓦屋根、切妻、平入りの建物。奥に格子戸があり、更にその奥に本殿がある。狭い土地に建てられている為、裏には回れない。この白木神社は先に見たように、新羅江に住んだ新羅系の人々が海の神、航海の神として祭ったものであり、新羅村の新羅神社であったであろう。創祀の年代は不明であるが、天日槍の伝承などを考慮すると、古代であろう。


二.中央区にある坐摩
(いかすり)神社 
坐摩神社の社殿  新羅神社という名称ではないが、新羅の神を祭る神社である。中央区久太郎町四丁目渡辺にある。この神社は古代の久太良洲にあったことから百済系(くだら)であるという説もあるが、私は新羅の神であると考える。古代の渡辺村にあった式内社である。天正十一年(一五八二)に豊臣秀吉により、現在地に移されたものである。この神社が久太郎町(久太良、百済)にあるにもかかわらず、新羅系の神とした理由は、「白木神社が一時、合祀された実績があること、新羅江の村にあったこと」及び、『住吉大社神代記』に「坐摩の神は住吉の大神の御魂」と記載されていること、更に、坐摩神社の宮司は渡辺の姓を名乗るが三代前までは都下(つげ)を名乗り、祖を都下国造とし、現在の宮司は五七代目ということによる。『三国遺事』に「新羅で絹を祭った祭天所を迎日県または都祁野といった」とあり、谷川健一『日本の神々』や大和岩雄『古事記と天武天皇の謎』には「都祁は古代朝鮮語で「トキ」「トチ」「ツゲ」「トカ」といい、日の出の意味である。この新羅の都祁野と同じ地名が菟餓(都下)であり、都下国造が祀る坐摩神社の所在地である。この地は天平勝宝二年(750)四月十二日の日付のある東大寺諸国庄文書に載る、新羅江のあったところである」とある。渡辺村は南北に分かれていたが、北渡辺には東大寺の新羅江庄があった。また『住吉大社神代記』に「舟木の遠祖、太田田命は日神を出し奉る」とあるが、これは迎日という意味であり、都下氏や舟木氏が新羅とかかわりが深いということである。また、坐摩神社がある西成郡は秦氏の存在も確認されており、新羅系の要素が強い所である。

(1)坐摩神社の祭神
  この神社の祭神については諸説ある。『大阪府誌』、『大阪全志』、『古語拾遺』、坐摩神社の『坐摩神社由緒略記』には次のように書かれている。「生井(いくい)神、福井(さくい)神、綱長井神(つながい)(津永井神)、阿須波(あすは)神、波比岐(はひき)神(波比祇)の五神を祭神としている。もとは住吉神社の末社で神武天皇初めて祭り給う。古くより宮中に祭られ、・・宮中では坐摩の巫が祀っている。もと大川の沿岸の渡辺に鎮座し西成唯一の大社なり。生井神は生き生きとした井(泉)、栄井は栄える井、津長井は生命の長い井でこの三神は井泉の神、阿須波神は足庭、波比岐神は家庭の神または、竈神である。この五神は「宮廷の井水と敷地を守る神」(『式内社調査報告』)である。宮中三六座の五座であり、いかしり(居処領)の神ともいわれ、坐は「居所」、摩は「しりの音の転訛ですりの宛字」と言われている。敷地の神であり飛鳥京(六七二〜六九四)、藤原京(六九四〜七一〇)以来の宮中祭祀伝承に基づく大嘗祭関係の重要神である」

  なお『摂陽群説』『和漢三才図』『名葦探杖』『難波丸綱目』『諸社一覧』などでは神功皇后(気長足姫命)を祭神としており、『蘆分船』では住吉三神を祭神とし昔は八軒屋の辺りにありとしている。

 神社は地下鉄御堂筋線、本町で降りる。駅の西南の一角が久太郎町四丁目であり300mくらい西へ歩くと左手に神社がある。南は船場である。道路沿いに神社名の石柱が立っている。境内は石柱で囲まれており、石畳の道を二段ほど登ると神明鳥居がある。正面の大きな鳥居は三輪鳥居で、左右に小さな鳥居が付随した鳥居である。奈良県の大神神社の鳥居と同じである。境内には大木が茂っており、歴史の古さを感じさせる。西向きの正面の鳥居の背後に石畳の参道があり、拝殿は唐破風の庇をもち入母屋造り。屋根の四隅に反りがある。幣殿、本殿ともに立派な建物。本殿も入母屋造り。社殿の右手には末社が五社並び、その背後には「禊ぎ場」がある。社務所は大きく神社庁の建物もある。坐摩神社の裏手には陶器神社と稲荷神社が並んで建っている。陶器神社の参道の入り口には明神鳥居があり、参道は四、五段の石段を登る。参道の入り口の脇に「坐摩神社」と書かれた石柱が建っている。こちら側の方が正面に比べると石段の分だけ少し低くなっているのであろう。末社には大江神社・繊維神社・大国主神社・天満宮・相殿神社などが祀られている。社殿は春日造の形をした大きくて立派な建物である。

(2)神社の由緒について

  神社の由緒についても、諸説がある。神社発行の『坐摩神社由緒略記』には「神武天皇以来今日に至る迄引き続き皇居の守護神として此の神様を篤くお祭りになり、一般の人々も古くは皆其の家庭の守護神としてお祭りになって居りました」とある。『坐摩神社誌』には「本社の創立に関してはなんら明確な文献を存していない」として諸説を紹介している。『古語拾遺』及び『旧事本紀』によれば、「坐摩神社が宮中に奉祀せられたのは、神武天皇の朝」、『坐摩神社縁起書』には「往昔、神功皇后が筑紫の橿日宮にまして、熊襲を討地給う議を図らせ給う時、坐摩五神のご神託があって新羅国を征伐し給い首尾よく御凱旋の途次再び五柱の御神託があり、我は是より東にて浪速の国蓑嶋大江の岸に留まらんと仰せられ…皇后は宮柱太しきを立てて崇め奉った。…」とある。この説の真偽のほどはともかくとして、摂津や播磨の海沿いの神社には神功皇后にかかわる伝承が多くあり、しかも新羅征伐の伝承がついている。この地方が新羅の人々と古くから結びつきが強く、神功皇后の子供とされる応神天皇も当地との係わりが強い。住吉、長田、生田、広田などと共に姫路にある神社も神功皇后に係わる伝承を持つ。

  神社の創祀を応神天皇の時とする説もある。「応神天皇三年、百済王の謀叛に対して紀宿禰等を遣わして討しめられた際、難波の沼中の坐摩神を拝祀…」(『和漢三才図会』・『書記通証』など)。『住吉大社神代記』には仁徳天皇の皇女波多姫若郎女の夢に住吉大神の御魂が現れて祭った。越前の『足羽社記』には継体天皇が越前で祭っていた足羽神社を勧請したとある。当社は、もとは住吉神社の末社であったので、神功皇后や応神天皇、仁徳天皇や住吉大社との係わりがあっても不思議ではない。『大阪府誌』『大阪府全志』も同様な説明をしている。このように諸説あるが、この神を祭った場所に大王の住まいがあったということであろう。その意味からすれば、祭ったのは応神天皇の可能性が強い。何故ならばこの天皇は渡辺村に近い八十島で大嘗祭に伴う禊の儀式をおこなっている。しかし、神の性格からすると、井戸の泉の守護神が三神、家と庭を護る神が二神であるので、渡辺村に住んだ新羅の人々が自分達の居所を護る為の神であった可能性が強い。そうであれば、秀吉が強制的に立ち退かせることが出来たことはの意味が理解できる。


出羽弘明(東京リース株式会社・顧問)






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