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京都市の新羅神社(10) 京都市の新羅神社(その三)
石座(いわくら)神社(八所明神社)の新羅明神 石座神社は岩倉村の産土神で、明治以前は大雲寺の鎮守神で八所明神社・十二所明神社と称した。石座神社は実相院と大雲寺の中間に位置する。大雲寺の東。入り口に大きな石灯篭が立っており、「常夜燈」と彫られている。すぐ脇に石柱が立っており、「岩倉陵、実相院宮墓、参道」と刻まれてあり、石柱の右側に巾が六mくらいの石畳と石段でできた長い登り道の参道がある。石段を三〇mくらい登ると道が二つに分かれる。右手の幅広い石段で出来た参道には大きな石造の明神鳥居とその両端に大きな石灯篭が二基ある。左灯篭の背後に石柱があり、「石座神社」と書かれている。鳥居の扁額は周囲が薄緑色、中が薄い青色で、中央に金色の岩座神社の文字が書かれている。鳥居の笠木の部分はひびが入って割れている。石段の両側には石垣が組まれ、その上には石柱の瑞垣がある。石段が切れて、広い場所に出る。中央右手に手水舎があり、左右の奥まった場所に細長い建物が建っている。多分、末社などが祀られていたものであろう。右側を東座、左側を西座といったようである。更に石段を登る。そこからは、少し狭い(といっても三mくらいはある)石段になる。大きな樹木に蔽われた境内である。正面に入母屋造の神楽殿のような形をした拝殿がある。拝殿の背後、右手に石の明神鳥居があり、「一言神社」の扁額と注連縄がかかっている。拝殿の左右に建物がある。右が社務所、左は神餞所である。更に石段を登ると広い平地がある。奥まった広い地にいずれも流れ造の社殿が四棟並列して建っている。中央の二社は古式な一間社流れ造で、左右の二社は小さな流れ造の社殿が覆屋の中に置かれてある。中央右手が八所明神社、左側が十二所明神社である。更に左と右側の端には中に末社の小さな社殿が並んだ建物が一棟ずつある。棟札から明和三年(一七六六)の改造が明らかになっている。 石座神社についての京都市の説明板が立っており、次のように書かれている。石座神社の創建は不祥であるが、「日本三代実録」によると元慶四年(八八〇)に従五位下を授けられている。その後、天禄二年(九七一)に大雲寺が建立され、その鎮守として石座以下八神をまつる八所明神が長徳三年(九九七)に勧請されて、石座神社はそのお旅所となる。後に伊勢ほかの四神を加えて十二所明神が祀られるようになったと伝わる。明治以降は八所明神・十二所明神が石座神社と改称され、もとの石座神社は山住神社とよばれた。境内の最奥にほぼ南面して建つ八所明神本殿(東)と十二所明神本殿(西)はともに一間社流造でほぼ同じ規模を有し、棟札から明和三年(一七六六)八月に同時に造営されたことが明らかになる。…この境内地の建物自体は新しいものの、市内では殆ど見られない宮座の建物を残す例として、また毎年十月二十三日の早朝に行われる岩倉火祭(京都無形文化財)の舞台としても貴重である。 また境内に神社の由緒を書いた「石座明神由緒」なる石碑がある。
(東京リース株式会社・顧問)
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