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兵庫県の新羅神社(6)

なお本殿は昭和十年、楼門や境内社は昭和五十二年の改築。例祭は十月九日、湯立祭七月第一日曜日、節分祭、安産祈願祭(毎日)、夏越祭六月三十日。特に「神社調書」によれば、大旱日には白国神社にて請雨祭を執行し媛子踊を奉仕する。此の踊りは古来慣例ありて、村中の男女出でて之を勤む。装束は頭に花笠、白き浄衣を着し緋色の袴を穿ち音頭囃に合わせて踊る。「媛子踊おんどろよ―ハアハア―ヤア-姫神ハ…」これ以外にも鎌倉踊、若の浦踊、軒王水踊などがある。白国神社の表門(楼門)の少し手前に南向きに狭い路地があり、表門の四〇〜五〇m先にある白国廃寺跡の池が見える。古くは、白国神社と白国寺は同じ境内に存在したのであろう。新羅神社と新羅寺であったのであろうか。なお白国神社については「大日本史神祇志」に「白国神社。…相伝祀素盞鳴尊廣峯社伝按播磨風土記白国は古の新羅訓村であり、白国神は新羅訓神也…」とある。白国神社の宮司から、当神社と係わりの深い古墳として、神輿塚古墳と権現山古墳の説明をうけた。新羅からの渡来人の墓なのであろう。説明の内容は姫路市教育委員会の説明板に書かれていたものと同じであった。「廣嶺山麓の台地上に築かれた径十五m、高さ三mの円墳で横穴石室を有する。石室は全長約十二m、片袖に近い両袖式で巨石六個を天井石とする。玄室内に高さ一・一五mの組合式家形石棺を安置する。蓋は幅一・二m、長さ二mの平屋屋根で退化した縄掛突起が認められる。この古墳は古くから書物に載せられ石棺は「神の乗る輿」だと云い伝えられてきた」。南に向かって開口する石室で、石室の奥には石の祠がある。同じく増位山の山裾にある権現山古墳は神輿塚古墳の東三qほどの場所にある。南方に開口する横穴式石室は片袖式で全長約十四mの方墳である。こちらにも姫路市の教育委員会の説明板がある。「五世紀になると、大陸から進んだ文化が次々と伝わってきた。やがて六世紀に入ると横穴式石室をもつ古墳が作られはじめた。石室は、羨道(通路)と玄室(棺を置く部屋)とからなり、全体を土でおおう形のものである。この権現山古墳は後世に古墳の上に神社が建てられたので、いくぶん低くなり東側も削られ丸くなっているが、調査してみると西側の山と古墳の間には、濠があり盛土の裾が直線であったので、もとは方墳であったことがわかった。石室は全長十四mあり、市内最大のものである」と。権現山古墳からは三角縁神獣鏡が出土したとのことであったが複製品とのことであった。いずれにしても市川の東岸には宮山古墳、阿保百穴古墳群、御旅山古墳(三角縁神獣鏡出土)などがあり、市川の西岸にも今見た権現山古墳、御輿塚古墳などの奥の古墳が存在する。市川流域では中期になると壇場山古墳などの大型前方後円墳が出現する。

三、姫路市の廣峯(しろみね)神社

この神社は新羅国明神(しらくにみょうじん)として祀られていた神社である。

@ 神社のある廣嶺山へ

広峯神社は姫路市の北方、広嶺山の山頂にある。この山は標高三〇〇mであるが、姫路平野の北方に屏風を立てたような感じで大きくみえる。姫路市から北に延びる山岳地帯の入り口である。広嶺山は東の増井山と共に連山を形成し、市川と夢前川の間をふさぐように東西に聳えている。「白国神社」の注連柱に「懌迫(えきせま)って瑞雲罩(ずいうんこ)む」と書かれている如しの感じがする名山である。白国はこの山塊の南麓の集落である。夢前川の西には書写山があり、更に西に山並みが続く。増井山の東を流れる市川の東側も山岳地帯になっており、加西市の善防山、古法華自然公園などを含み山岳地帯が続く、北は日本海の沿岸地方に至るまで山岳地帯である。広嶺山へ登るべく、白国神社参道前のバス停のある道に戻る。姫路市教育委員会・文化財保護協会作成の「廣嶺・増位・白国めぐり」の案内図を参考に白国神社の近くを通る道(表坂)を登る。この道は案内図ではこのコースの終点と表記されている。なお廣峯の文字は案内図には広嶺となっているが、それ以外のところでは、廣峯という文字が使われている。これは古くは山名も神社名も同じ廣峯であったが、御土御門天皇の勅により「廣峯山」を「広嶺山」に改めたという(明応六年・一四九七)ので元々の名称は広峯の文字であった。ここでは現地の表示をそのまま使用した。廣嶺山への登り口のバス停(広峯・姫神バス終点)に道路案内の表示板が掲げてある。それには「現在地・奥白国。右・広峯。左・白国口」と書かれている。表示に従って道を十分位のぼる。道標があり、廣峯神社の旧参道に入る。入り口は沢山の竹林と叢木で鬱蒼とした森の中の小道で、樹木に覆われて薄暗い。しかも小道の両側には雑草が長く伸びているために狭い登り道である。道の右側に沿って巾一m位の川が流れている。この旧参道は川も急傾斜で特に岩場を流れる川の水は急流である。しばらく登ると川の中に三mくらいありそうな黒い岩碑が見える。塩や花が供えてある。岩の表面に刻まれた仏像は風化されて、はっきり見えない。道も雑草が茂り土は見えないが岩碑のある場所を曲がると、突然眼前が大きく開け異様な光景に変わる。あたかも、火山の噴火口跡に入ったような感じで広場の正面や側面の山の傾斜地には墓石のような石柱や石塔、石仏が山の急斜面にびっしりと並び、中央の下段には石の明神鳥居が多数並んでいる。すべて白い石造りである。ローマのコロシアムのような感じの場所であるが、こちらは大きな墓場のような修行場のような感じである。突然眼前に現れる斜面一帯の石群は見る者にぎょっとする雰囲気を感じさせる。道の近く、手前の鳥居には「不動滝」の扁額が掲げられている。鳥居の柱には「平成二年五月吉日・白姫講」と文字が刻まれていた。鳥居の背後の左手には朱塗りの建物があり、地蔵菩薩が祀られている。奥には滝が流れ、修行の行場のような感じである。左側の奥にある鳥居には「白姫大神」の扁額が架かっている。この「白姫大神」は「シラキ」と思われる(福井県今庄の新羅川が信露貴、叔羅、白鬼女、白姫などの標記を経て現在は日野川となっている)従って白姫講と記されているのは「シラキ」講と読むのであろう。鳥居や石仏群の間を通り抜けて旧参道である山道を更に登る。森の中の道が続く。道は雑草や小さい灌木などが繁って、更に横倒しになった古木が時々出てくる細い道である。登ること、三十分。「左・広峰神社・〇・四q、右・随願寺・一・五q」の道標が見え、道が左右に分岐する所まで来た。ほっとする。むろん、左の道を選ぶ。木々が繁っている。道はシダや枯葉などで埋まっている。道の左側は苔や雑草の生えた高い石垣、右側は苔むして青草が繁る石垣の跡と灌木の林があり道には苔むした自然石が少し残っている。やがて前方に神社らしき建物が見えてきた。左手の石垣は低くなるが、右側は大木の混在した森である。白国神社から一時間三〇分ほどであった。参道は表門と拝殿の中間にでた。境内はきれいに整備された台地状の場所にある。私の登った参道は表坂といい、白国廃寺の更に西方、平野南口から登る道を裏坂と呼んでいる。なお、神社の鳥居は表門より約二〇〇m下に大きな石造の明神鳥居がある。播州の守護神として崇敬された廣峯神社の大鳥居は、かつては瀬戸内海に造られていたと伝えられている。航海する船上からも拝したのであろう。

A廣峯神社の境内

到着した場所は境内の右端でこの場所からは神社の表門と拝殿・本殿が左右に分かれて見える。廣嶺山は中央の峰に廣峯神社、西の峯の白幣山(はくへいざん)には奥の院として吉備(きび)神社と荒神(こうじん)社、東の峯にはお旅所の天祖父神社が存在している。もともと廣峯神社は白幣山(別称を幣岳(みてぐらだけ)・白幣峯(しろにぎてみね)・伊太(いだ)て神山・西の峯)にあったが円融天皇の天禄三年(九七二)に現在地へ遷座、その跡地が奥の院となったという。境内の右端に「廣峯神社境内」の案内図の看板が建てられている。神社の正面の参道から社殿を見上げると、神社の本殿は遥か上段にあり表門しか見えない。神社本殿の敷地を頂点とした階段型の地形を作っている。正面の参道には石段がある。石段の登り口の両側には木製の大きな灯籠が立ち、右手前には「廣峯神社」の文字が刻まれた大きな茶色の御影石の石柱がある。「丁石」も置かれてある。右の灯籠の隣にはしだれ桜が根を張っている。巾の広い石段を十段ほど登る。登った石段の上の両側には大きな石柱が二体立ち、左側の柱には「神聖之霊域」、右側の柱には「吾心清々為」と思われる文字が刻まれている。「為」のところの文字ははっきり判読できない。柱の左右には瓦の切妻屋根を持つ薄い桜色の壁粧瓦で造られた美しい塀が張り巡らされており、まるで山頂に造られた城郭のようである。何本かの白い横筋の入った土塀は淡い紅色で別世界の感じがする。台地状の上にまた石段がある。こんどの石段は下の石段の半分くらいの幅であるが、二十段くらいある。坂道の石段の両側には石灯籠や石の玉垣、つつじの植え込みやカイズカイブキの木などがみられる。二十段くらいの石段の上には、大きくてりっぱな表門がある。瓦葺の入母屋式の屋根を持つ三間一戸・八柱の随神門であるが通常の八脚門と異なり中央の通路の幅を非常に広くとり、親柱を省略して平入門とした珍しい門である。石畳の通路の両脇に随神間を設け、それぞれ中央に両格子戸を立て、両脇を板塀で結界している。門の梁には長いしめ縄や紙垂が飾られている。門の手前には石の玉垣、その内側に石の大きな台に載った狛犬の石像が並んでいる。右手は玉垣。更に続いて朱色の壁があり、そこには、古びた石の宝篋印塔が置かれている。姫路市教育委員会の説明板があり、「宝篋印塔(国指定重要文化財)・高さ二二四p、複弁の反花を刻んだ基壇の上に置かれ、基礎の上端は二段式で、各面に輪郭付き格狭間が彫られている。




(東京リース株式会社・顧問)





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