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〔今回のテーマ〕コミュニケーション


いじめ、引きこもり、青少年の犯罪が世間の注目を集めるなか、相も変わらぬ硬直した大人社会にあって村上龍氏の感性こそ救いであり希望でもある。

村上 龍 『希望の国のエクソダス』
村上 龍 『共生虫』
田口ランディ 『アンテナ』

1).
そうあるわけではないが、早く読み終わってしまうのが惜しくなるといった類の本がある。 ふつうであれば夢中になって活字を追い、ページを繰り、一刻も早く結末を知りたいと思うものであるが、 この種の本にあっては、小説、専門書を問わず読むうちにあれやこれやと様々な思いが頭の中に渦巻いて、 先に進むのがつらいと云うか、もったいないような気になるのである。

あたかも折角の美酒を充分に熟成するのを待たずに封を切ってしまい、 本当の美味しさを逃してしまうような感じである。 この感覚はテクスト自体が自ずと読者に精読や再読を求めてくるといった冷静な判断とはまた違って、 その本との最初の決定的な出会い、そこから受けた感応力や衝撃力の強さによるように思われる。

こうした特別な経験をぼくに幾度かもたらしてくれた作家に村上龍がいる。 彼が『限りなく透明に近いブルー』で華々しく文壇に登場したのは、ぼくが高校三年生の時だった。 当時では異例中の異例だった『群像』新人賞がそのまま芥川賞も受賞するという この作品を仲間と熱心に話し合ったのを今でも覚えている。 そう年齢の違わない彼の登場は、同世代のぼくらにとってもひとつの事件であった。

さて、昨今の芥川賞に象徴される文学の閉塞状況については以前にも述べたことがあるが、 賞をとるために、ためにするかのような、あたかも入学試験の模範解答のような作品が並ぶなかにあって、 彼のその後の二十数年に亘る歩みは、同時代に対する感性といい、それを言語化する能力といい、 今日の日本人作家にあってほとんど唯一無二の存在ともなっている。 彼の鋭敏な感性に引っかかった数々のテーマを一気に全面展開した 『コインロッカー・ベイビーズ』や『愛と幻想のファシズム』と云った作品は、 生半可な技術論や文学論など一気に吹っ飛ばすようなインパクトを確実に持っていた。


2).
こうした意味で彼が昨年発表した『希望の国のエクソダス』は 久々にページをめくるのが惜しくなるような作品であった。

この小説は不登校の中学生たちが主人公である。 ある事件をきっかけに全国のいたるところで中学生の「集団不登校」が始まる。 彼らは独自にインターネットを駆使した中学生だけの巨大ネットワークを築き上げ、 学校や教育制度、現代の大人社会への反抗を開始する。 やがて世界的に知られるようなメールマガジンを設立し、様々なネット・ビジネスを展開し大成功を収め、 日本の経済界に大きな衝撃を与える。ついに彼らは北海道に集団移住し、 独立共和国を建設して、新しい通貨までも流通させていく。

村上氏自身、「あとがき」で現代の教育を劇的に変革するには、 今すぐに「数十万人を越える集団不登校」が起こればというアイデアをモチーフに この小説を書いたと述べているが、こうしてこっちで粗雑にまとめてしまうと 何かマンガのあらすじのように思われてしまうかも知れないが、 実際には、「いまそこにある危機」とでも云うか明日にでも本当に起こりそうな、 いや起こってほしいとさえ思わすような話なのだ。 とは云え、この小説の本当のテーマは、言葉あるいはコミュニケーションの問題に他ならない。

日本人みんなが、何か共通のイメージっていうか、お互いに、あらかじめ分かり合えることだけを、 仲間内の言葉づかいでずっと話してきたことなんじゃないかな。 その国の社会的システムが機能しなくなるってことは、 その国の言葉づかいも現実に対応できなくなるってことじゃないのかな。 大人には自然に刷り込まれていることが、子どもには理解不能だったりするわけでしょう? 昔は良かった、戦前は良かった、大家族制度のころは良かった、 高度経済成長のころは良かった、みたいなことをね。時代に取り残された連中は必ず言うわけだけどね。 子どもは、今の時代しか知らないわけでしょ。 自分たちにとっては当然でも、相手が違えば、当然のことではなくなる、 ということにはなかなか気づきにくいんだよね。

今や旧い社会システムは滅んでしまったが、 恐らくかつての日本という共同体がもっていた価値観を理解できる年代は、 村上氏やぼくの世代が下限であろう。 ぼくの世代では旧い制度に対抗し新しいシステムを構築することが問題としてあったが、 現在ではこの対置すべき新しいシステムの存立自体がそもそも疑わしい。 こうした状況にあって、今の子どもたちとコミュニケーションをとるには、 ぼくら自身の立ち位置をシフトしなければならない。 じゃまくさいなどと云わずに大人のもつ共通の前提を一度取り払って、 最初から言葉を練り上げていく必要がある。

最近、少年少女の犯罪がマスコミに大きく取り上げられている。 しかし、その根本には端的にコミュニケーションの不在、 とりわけ自分たちが安住している枠組みから一歩も出ようとしない大人の側からの門前払いの姿勢がある。 逆説的に聞こえるかもしれないが、子供たちが自らの言葉を獲得しようとする時、 むしろこうした時代にこそ希望もまたあるのだというメッセージを本書から聞き取ることができる。

居酒屋で群れているサラリーマン…コミュニケーションが努力なしでも成立すると思っています。 フリースクールの子どもたちはまず孤独です。…自分を確認しなくてはいけないので、 自然と言葉を獲得しようとするわけです。…自分の生き方を他人に説明したり、 他人の意見を理解するということは彼らにとって死活問題なわけです。 …彼らは、コミュニケーションが自明でなく、 わかり合えることよりわかり合えないことのほうがはるかに多いということを知っているんですね。


3).
この書と併せて是非とも読んでほしいのが、本書の前に発刊された『共生虫』である。 こちらの主人公は中学の時から学校に行かなくなり八年間誰にも会わず「引きこもり」をしている。

彼は体内に「共生虫」という虫を飼っている。 この虫は、彼が小学生の頃、入院中の祖父を見舞った折りに 隣で息を引き取った老人の鼻から灰色の虫が出てきて自分の目から体内に入り込んだという経験をもつ。 彼は「引きこもり」のなかで唯一興味を示したパソコンでインターネットを始め、 この虫についてネット上に書き込みをする。やがて彼のもとに共生虫に関する様々な情報が送られてくる。 それによると共生虫とは絶滅をプログラミングされた種を終宿主とするもので、 即ちこの虫が人類に宿ったということは人類が滅びることが次の時代の全生物の共生にとって 不可欠であることを意味すると云う。従って「共生虫は自ら絶滅をプログラミングした人類の、 新しい希望と言える。共生虫を体内に飼っている選ばれた人間は、 殺人・殺戮と自殺の権利を神から委ねられている」のだそうである。 こうして現実と妄想の境界が曖昧になっていく中で彼は、まず父と兄を金属バットで殴り、 殺す相手を求めて外へさまよい出る。

ここから続く数章の描写は圧巻である。南米アステカの手足切断といった人身供犠や麻薬、 あるいは主人公が殺そうとした中年女から見せられる戦争や死、病といった悪夢のような映像の数々が、 イメージ喚起力の強い、凝縮された濃厚な文章力によって支えられ、 まさに二十世紀という時代が読者の前に顕現する。やはり、ここでもテーマは 社会の側が用意するお仕着せの未来を「引きこもり」の人たちは拒否しているのではないかという コミュニケーション不在の問題である。

本書は「引きこもり」の青年を通して、普通の人には普通にしか見えない現実が ひょっとすると途轍もなく歪んだ世界ではないかということを描いた現代文学のひとつの到達点となっている。


4).
村上龍氏の作品もインターネットが重要な要素を占めていたが、 次に紹介する田口ランディ氏はまさにネット上で六万人もの読者にコラムマガジンを配信している。ぼくも読者の一人だが、コラムを読む限りは、ぼくと同歳だけあってほぼ同じ感性というか全面的に共感できるのだが、それだけに何かインパクトがないように感じていた。

ところが、氏が昨年初めて発表した二つの小説のもつ並々ならぬ筆力には心底驚かされた。

第一作『コンセント』は、やはり長年の「引きこもり」の末に衰弱死した四十歳の兄と妹の話であったし、 第二作の『アンテナ』も十五年前に忽然と失踪した妹と主人公の兄を軸に宗教にのめり込む母、 失踪した妹の身代わりをつとめる発狂した弟と云ったいずれも家族の物語である。 しかし、ここでも底に流れているのは、肉親を通じて他者を理解するというコミュニケーションの問題である。 そして、それは言葉と性の問題に他ならない。

誰かにこのことを話したいと思っていたんだ。だけどね、どういうわけかこういうことは、 知りたいと思っている相手にしか話すことができないんだ。 それを欲している相手にしか伝えることのできない事柄が、この世の中にはたくさんあるんだね。

言葉はもともと不完全なものである。いま何よりも求められるのは、 子供たちや「引きこもりの」人たちをはじめとする他者の言葉を本当に聞きたいと切望すること、 そうしなければ伝達されないメッセージがあるということをもう一度、考え直してみることである。

何はともあれ次作の『モザイク』に期待したい。

(園城寺執事 福家俊彦)






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