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〔今回のテーマ〕西洋歴史小説


もうすぐ夏休み、海へ行くのもいいけど、大長編小説を読破する絶好の機会。 子供の頃の興奮をもう一度、血湧き肉躍る西洋時代小説を愉しむ。

佐藤 賢一『傭兵ピエール』
藤本 ひとみ『ハプスブルクの宝剣』
スーザン・ソンタグ『火山に恋して』

1).
いまさら三銃士などと云ってバカにするなかれ。 過日、古本屋をのぞいていて偶然にも鈴木力衛氏による日本で唯一の完訳版、 A・デュマ『ダルタニャン物語』全十一巻を見つけた。 この講談社文庫は絶版になって久しく幻の名訳になりつつあったが、幸いにも今年、 やや大きめの四六判で装丁も新たに復刊された。 これはネット上で絶版や品切れになって入手困難な書籍を投票によって復刊するサイト 「復刊ドットコム」から出されたもので、これもインターネットの効用であろうか。

さて、この『ダルタニャン物語』、子供向けのお話とお思いの方も多いでしょうが、 誰もが知っている若きダルタニャンが活躍する「三銃士」は全十一巻のうち二巻にすぎない。 その後に「二十年後」、鉄仮面の挿話を含む「ブラジュロンヌ子爵」と全体で三部に分かれ、 文庫本平均五百頁、全十一巻で完結する一大長編であることをご存じだろうか。 子供の頃に読んだつもりになっていて案外と全巻読破された方は少ないのではないだろうか。 ともかく百五十年前に書かれたこの歴史小説、いま読んでもことのほか面白い。 そればかりか十七世紀のフランスの歴史や文化を理解するにも最適な書である。


2).
人間ある一定の年輩になると、自然と歴史ものや時代小説に興味をもつようになるのだろうか。 いまさら色恋沙汰はどうもと云うことなのかどうかは知らないが、 本屋さんをのぞいてみても吉川英治や司馬遼太郎、隆慶一郎といったビックネームをはじめ 新旧様々な作家の作品が並んでいる。

ところが、これが西洋ものになると作品自体の数もグンと減り、 ましてや歴史の醍醐味を体験させてくれる日本人作家となるとかなり限られてくる。

以前では、高水準の西洋歴史小説の書き手は、塩野七生氏ぐらいしか見当たらなかった。 氏の専門であるイタリア・ルネッサンスから取材した諸作品や現在九巻まで刊行中の『ローマ人の物語』は、 複雑に絡み合った歴史事象を明晰に解明し紐解いてくれる。その鮮やかな手並みは、 専門家も含めて余人を寄せつけない独壇場である。

もとより当方も西洋史と云ったところで、例えば「一四五三年、コンスタンティノープル陥落、 東ローマ帝国滅亡」と云ったかつての受験勉強の残滓ぐらいは頭に残っていたとしても、 同じ年に英・仏間の百年戦争が終結したことまで覚えている方は果たしてどれだけおられるだろうか。 ともかく西洋史に登場する人物は、当然ながら横文字で、同名の人物も多いし、 同一人物でも英語、仏語、伊語など言語によって発音も異なるから当然、 カタカナ表記も異なり、とにかくややこしいことこの上ない。 また、ヨーロッパ各国の王家や貴族は、ただ戦争するだけでなく、 互いに婚姻関係を繰り返しているからヨーロッパ中に網の目のように 張りめぐらされた親戚同士が入り乱れて引っ付いたり離れたりと目まぐるしい変化をみせる。 これを何百年にも亘って地理的にも全ヨーロッパを舞台に繰り広げているのだから、 その複雑さは半端ではない壮大なものがある。

ぼくのささやかな自慢は、高校一年の夏休みにトルストイの『戦争と平和』を読破したことだが、 自分で登場人物一覧表と人物関係図をつくって四苦八苦読み進んだことを思い出す。


3).
例えば、ホイジンガ『中世の秋』の翻訳で知られる中世史家・堀越孝一氏の 『ブルゴーニュ家』(講談社現代新書)を手に取ってみよう。 百年戦争当時の十四、五世紀から十六世紀にかけてのフランスは、 東には王家から分かれたブルゴーニュ公国、北のブルターニュ、 ノルマンディー地方とボルドーを中心とするアキテーヌ地方はイギリス王家の領地となっており、 フランスの領土は現在の三分の一にしか過ぎなかった。まずこの点から驚きである。

だから良質の歴史小説の条件は、波瀾万丈のストーリーと読者が共感できる主人公の存在は勿論であるが、 なによりも歴史がはらむ壮大な複雑怪奇さを如何に伝え得るかが重要な要素となる。 今回はこうした条件を満たして大デュマに迫る歴史小説を紹介したい。


4).
先ずは、直木賞作家・佐藤賢一『傭兵ピエール』である。時は十五世紀の初め百年戦争の後期、 フランスは先述のように三分され、イギリスと結んだブルゴーニュ派がパリを占領、 これに前王シャルル六世の王太子(後のシャルル七世)を擁するアルマニャック派が対立し ブルージュに臨時政府を置いていた。一四二八年十月、英王ヘンリー六世の摂政ベドフォード侯ジョンは 王太子派の要衝オルレアンを包囲させた。 ここに神の声に導かれた十七歳のジャンヌ・ダルク(一四一二〜三一)が歴史の舞台に登場する。 彼女はオルレアンを解放、王太子を仏王代々の加冠の地ランスで戴冠式を挙げさせる。 しかし、英軍に捕らえられ宗教裁判の結果、火刑に処せられると云ったお話は誰もがご存じの通りである。

本書は、傭兵隊の頭目ピエールを主人公に戦いに明け暮れる当時の時代背景や フランス各地方の生活風景を綿密に描き出しているのがよい。 活劇場面にも事欠かず、ピエールを守備隊長にアランヴイルの町を傭兵の襲撃から守る場面は 黒澤明『七人の侍』を彷彿とさせるし、衰弱したジャンヌを連れてのブルターニュ脱出行のくだりなど、 まさにデュマの興奮が甦る。

著者は、歴史的事実を踏まえつつ、ジャンヌの事跡とやがて彼女と運命的な関係を結ぶことになる 主人公ピエールの行動とを巧みに絡み合わせ、史実を知っている人ほど思わずニヤリとさせるべく組み立てている。

さらに、諸説紛々たる数多のジャンヌ神話の中から王太子の義母ヨランド・ダンジュー関与説に 一九五二年にグリモが唱えて以来のジャンヌ生存説を加味して、実に手の込んだプロットを展開している。 また、童話「青ひげ」のモデルとなったジル・ドゥ・レを登場させるなど 読者サービスもデュマ同様満点の痛快歴史小説となっている。


5).
藤本ひとみ『ハプスブルクの宝剣』は、 ハプスブルグ家のなかでも知名度の高いマリア・テレジア女帝(一七一七〜八〇)の若き時代を扱っている。 父カール六世の亡き後、女性にも継承権を認めた国事詔書によって若干二十三歳にして 即位したテレジアは、即位後忽ち勃発したオーストリア継承戦争、七年戦争と激動の時代に投げ込まれる。

「ハプスブルクの宝剣」の異名をとる隻眼の主人公エドゥアルトは、 テレジアとその夫フランツ・シュテファンを助け縦横無尽の大活躍をする。

女帝生涯の宿敵フリードリッヒ大王のプロイセンなどヨーロッパ列強との謀略と駆け引きを縦糸に、 ウィーンの都はシェーンブルン宮殿を舞台に繰り広げられる主人公とテレジアとのロマンス、 フランツやハンガリー貴族バチャーニとの友情を横糸に織り上げた絢爛豪華な歴史絵巻である。

また、主人公の出自であるユダヤ人問題や旧教・新教の争いといった重要なテーマを伏流に据え、 著者の歴史認識への目も行き届いている。

そもそもヨーロッパは、ハプスブルク家を抜きに語ることはできないし、 中世最後の騎士マクシミリアン一世や全盛期を築いたカール五世など実に興味深い面々が揃う。 ここは是非、ハプスブルク研究家の江村洋氏の一連の著述を読まれることをお勧めする。


5).
最後は、今春に出版されたばかりのスーザン・ソンタグ『火山に恋して』

本書は前二書とは趣を異にする。 何よりも著者がベトナム戦争やエイズなど常に現代社会がはらむ アクチュアルな問題に鋭利な批評を発表してきた著名な評論家であることである。 ソンタグと云えば誰もが『反解釈』、『隠喩としての病』といった著書を思い浮べ、 さぞやエスプリに富んだ難解な小説であろうと思われるであろうが、一読、この予想は完全に裏切られる。

時代はフランス革命の嵐が欧州を駆けめぐる理性と啓蒙の十八世紀末。 舞台は南イタリア、ヴェスヴィオ火山を望むナポリ。 主人公はナポリに赴任した英国公使カヴァリエーレと妻となる絶世の美女エマ、 ここにイギリスの英雄ネルソン提督が絡み、二人は熱烈に愛し合い、奇妙な三角関係が生まれる。 話の筋は革命派によるナポリ占拠事件を中心に、 全編過剰な醜悪さで異彩を放つナポリ王やゲーテも登場するなどなかなか絢爛たる小説である。

しかし、ただの娯楽小説でないことは、本書の最後に革命派唯一の女性エレオノーラの述懐として語られる次の 文章が雄弁に物語っている。

自分にできる最善のことを遂行しようとすれば、自分が女であることを忘却しなければならないこともあった。 それとも自分に嘘をついて、女であるということがいかに錯綜したことであるかを忘れるか。 女はすべからくそうしている、この本の著者も含めて。 しかし私は、自分自身の名誉や幸福以上のものに眼を向けようとしない人々を許すことができない。 そういう連中は、自分たちには洗練された教養があると思っていた。卑劣だ。地獄に墜ちるがいい。

まさにヴェスヴィオの噴火の如き挑発の言葉である。

(園城寺執事 福家俊彦)






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