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天 神
滋賀県内に最も数多く鎮座する神社は日吉神社だそうだ。
平安期以降に日吉神社本社(大津市坂本)が開発した荘園に分霊したものと、
延暦寺の荘園や天台末寺が守護神として勧請したものがあるが、
滋賀県は蓮如の布教以前は天台王国であったから、県内の日吉神社の数も250に上る。
各村々には、どこにも村の鎮守の社があって、日吉神社もその一つだが、
春日神社や八幡神社、熊野神社や白山神社など、さまざまの神々を祀っていいなりる。
これら村氏神は、稲荷神社の商売あたご繁盛や愛宕神社の防火のような特別な御利益は持たないものの、
村の守り神として、土地に生活する人々の生命を守ってきた。
春には氏神に五穀豊穣を祈り、秋の収穫を祝う。
赤ん坊が産まれればお宮参りし、厄年を迎えたら厄除け祈願に詣でる。
病気を得れば、氏神にお百度参りや千度参りして、病気の回復を願う。
「天神社(てんじんしゃ)」も社数の多い神社であり、
氏神として崇(あが)められている。祭神には天神=天ツ神(あまつかみ)、
つまり神話の高天原(たかまがはら)から降臨した神々を祀る。
国産みの伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊夫婦神(いざなみのみこと)、高天原を司る娘・天照大神(あまてらすおおみかみ)、
その弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)などなど。
もう一つ、わが国には、非業の死を遂げた者の霊は生者に祟(たた)るとして、
怨霊を鎮めるために神として丁重に祀る風習が奈良期以降あり、
その代表格である菅原道真は京都・北野天満宮に祀られているが、
道真に与えられた神名が「天満大自在天神」であったことから、
天神=菅原道真を祭神とする天神社もある。この場合、多くは天満宮と称するけれど、
天満宮と呼ぶ社も、特に明治維新に際して天神社から改称したものが多い。
しかし本来は、天神とは祖霊神をいった。古代、人は死ぬと霊魂が天に昇り、
死霊は年月を経て祖霊となり神となって、子孫を守ってくれると信じられていた。
天神社とは、天にある祖霊神が宿る場所であると。
そのため、神社の原初のものの近くには墓所がある例が多いというし、天神社にしても、
鎮座する近くに必ず古墳があるとの指摘もある。
筆者(の実家)の氏神は、草津市の川原天神社である。
祭神として伊弉諾尊・稲田姫命(いなだひめのみこと)・八王子神の三柱を祀っている。
伊弉諾は国土(田んぼ)造りの神。稲田姫は、水田が豊穣であることを願って、その名にちなむ。
あわせて、親である伊弉諾と、子の素戔嗚の妻である稲田姫と、
そしてその子ども(伊弉諾の孫)になる八王子と、三代の神々に子孫の繁栄をあやかろうというもの。
川原天神社(草津市)
このあたりは古くから拓けたところで、縄文時代の遺物が発掘されたり、
奈良時代の条里制の名残りも見られるところである。
古墳時代には、古代豪族の一人、笠氏がこの地を治めていたとされる。
その頃、この辺は「笠の郷」と呼ばれ、
現在の川原町・上笠町・野村町(いずれも草津市)は上笠三郷として一つであったが、
上笠町に鎮座する上笠天満宮は、いつの時代からか菅原道真を祀るようになったものの、
もう一神、高御産霊神(たかみむすびのかみ)を祭神としている。
上笠天満宮(草津市)
高御産霊神とは、天地開闢(かいびゃく)のときに高天原に出現した造化の神。
地元では、この神を、かつてここを治めた笠氏の祖霊神だと考えている。
川原天神社についても、もともとは笠氏の祖霊神が祀られていたはずである。
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