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異形神


日本随一。伊吹もぐさ「亀屋」の福助像


天地開闢(かいびゃく)のとき、国産みに際して、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が最初に設けた子は水蛭子(ひるこ)であると『古事記』上つ巻にある。天照大神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)の兄にあたる水蛭子は、子どもの頃、三歳になるまで、足がヒルのように萎えて立てなかったため、九州・日向(ひゅうが)の里から葦(あし)の舟に乗せて海に流されてしまった。


海を漂う水蛭子は龍宮に拾われ、七、八歳まで育てられるが、天神の子孫であることから、再び、還されると、今度は摂津の国(兵庫県)西宮の武庫(むこ)ノ浦に流れ着く。漁民の間で信じられている、海のかなたから来訪する異物は大漁をもたらしてくれるとする「エビ ス」信仰と習合して、水蛭子は西宮神社の主神として祀られるようになった。


そもそもエビスとは未開の異俗民や外国人を意味する言葉で、山を越え、海を隔ててやってくる。漁村では漂流死体やクジラ、イルカなどもエビスと呼ばれ、豊漁を招く福の神とされてきた。足に障害を持つ水蛭子は、両親である伊弉諾尊と伊弉冉尊が兄妹夫婦であ ったため、近親結婚による弊害が現れたとする。あるいは、小児マヒによるとも。いずれにしても、古来、常人と異なる者は常人の持たない特別な力でもって奇跡を起こしてくれると信じられ、大切にされてきた歴史がわが国にはある。


 
恵比須人形
これを福祉の眼でとらえれば、異形の人たちは、異形ゆえに持っている特別の力でわれわれに福を呼び込んでくれる大切な存在だとすることで、こういう人たちを地域の中で守ってきたのかもしれない。


恵比須は、もともと漁業の神であったが、水蛭子(ひるこ)の足が不自由だったことを「おあしが出ない」という言い回しにかけて、のちに商売繁盛の守り神として崇められるようになる。


 
本家、西宮神社のお札

商標登録された福助
(福助足袋)
もう一人、福助がある。


福助は、脳水腫(水頭症)という難病による大きな頭と、背の低いからだに裃(かみしも)の礼装をして、深々とおじぎする伏見人形で知られる。福助足袋(たび)の登録商標は、福助を知らない人をなくしたといわれる。


福助にはモデルがあって、江戸中期、八代将軍吉宗のとき、京都・伏見の百姓、下村三郎兵衛の子、彦太郎は頭が 大きく、背が低く、耳たぶが肩まで垂れていた。京都上長者町の呉服屋「大文字屋」に奉公し、二十歳のとき、伏のれん京町に暖簾(のれん)分けしてもらう。




亀屋の番頭、福助を
描いた伊吹もぐさ
名も彦右衛門と改め、稲荷(いなり)信仰が厚かったからか、商売は繁盛。特に、妻お常(つね)の故郷、名古屋で商った木綿の足袋や手拭いは大流行となる。これにあやかろうと、伏見街道の人形屋が彦右衛門の姿を人形にして、「福助」の名で売りだしたところ、出世開運福徳円満、これも大当たりする。


インドの神様、大黒天が日本に帰化して大国主命(おおくにぬしのみこと)となり、その娘、吉祥天女を嫁にもらったのが大文字屋主人・下村彦右衛門こと福助。そのときの仲人(なこうど)は中国の福禄寿(やはり頭が大きく、背が低い)で、のちに福助はお多福を愛人にする。福助は恵比須の子分とされる。



もう一つの福助のモデルは、滋賀県・伊吹山麓、柏原宿のもぐさ屋「亀屋佐京」(伊吹堂)に江戸後期に実在した 番頭、福助が、それである。福助は正直一途で、感謝の心を忘れず、常に客に真心で接したため、商売は大いに繁盛した。この話を伏見の人形屋が聞き、福を招く縁起物として売りだすと、大流行して、どの商店の店先にも飾られるようになった。


現在も、亀屋の店頭には一五〇年続くという(現代のものは二代目)巨大な福助像が祀られている。日本随一の 福助像である。






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