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![]() 京都府の新羅神社(2) 四、厳島神社と新羅神社 両社とも社殿の周囲は透塀で囲まれて、正面には夫々簡素な四脚門を持っている。社殿の形は異なっており、厳島神社は唐破風、新羅神社は切妻屋根である。本殿の建築は厳島神社は流造、新羅神社は春日造である。新羅神社は間社造で側面は白壁である。正面に「新羅大明神」の扁額が掲げられている。祭神は素盞鳴命、五十猛命。例祭十一月一日。厳島神社の祭神は市杵島姫命である。この神社は先に見たが、元々、三室戸寺の十八神社の隣にあったものを明治十年大鳳寺村の厳島神社に遷座したことが「十八神社の由緒書」に記載されてあった。すると、三室戸寺にある新羅神社はどういうものであろうか。恐らく明治の神仏分離の際に、新羅神社を分離して境外に移したものが、現在三室戸寺にある新羅神社でその神社の分霊を大鳳寺村に移した、ということか、元々大鳳寺村にあった新羅神社が、いつの時代にか、三室戸寺の新羅神社へ合祀されていたものを元に戻したかのどちらかであろう。大鳳寺村に新羅神社の信者が多いというのをみると、もともと大鳳寺村にも新羅神社があった可能性が強い。
![]() そこで宮林家にも尋ねてみたが、「宇治市史の程度しかわかりません」とのことであった。 ![]() なお、当地方は古代葛城王朝があり、崇神の三輪王朝に敗れたため、その後大和王権に対する反抗勢力の拠点となったといわれ、反乱伝承が多い。開化天皇の異母兄武埴安彦が妻吾田媛と共に崇神朝に反乱、また垂仁天皇の時代にも開化天皇の孫の狭穂彦王が皇后狭穂姫に託し、天皇殺害を謀てた。なお、葛城系の子孫には近江ともゆかりのある息長帯姫命がいる。 出羽弘明(東京リース株式会社・顧問)
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