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三井寺の門たたかばやけふの月(芭蕉)

三井寺の門たたかばやけふの月


『奥の細道』の長旅を終えた松尾芭蕉は、元禄二年(1689)十二月からの二年間を大津で暮らすことになります。 俳聖円熟の季節として知られる「湖南時代」の始まりです。


本当に芭蕉は、近江と近江の人を愛しました。 年が明けた春の名残りに詠んだ


行春(ゆくはる)を近江の人とおしみける
  芭蕉像
芭蕉像
(大津市歴史博物館)


の名句は、「近江の人と」でなければなりませんでした。 それは、好意的に物心両面で支えてくれる大津の門人たちとであり、 歌枕の地として、古歌に近江を愛(め)でた多くの歌人たちがいたことをも意識していたからです。 芭蕉の、近江に対する想いの深さが伝わります。


翌元禄四年の八月十五夜、中秋の名月には、新築なった木曽塚(義仲寺:ぎちゅうじ)無明庵で 月見の句会が盛大に催されます。かつて来、歌詠みにとって、旧暦八月といえば、 月の歌のみ詠み、月のみ心にかけたといわれるほどの名月だったのです。


乙州(おとくに)は酒樽を携えて、正秀(まさひで)は茶を持って参加し、芭蕉を喜ばせます。 句会は盛り上がり、風狂は尽くされ、「飲中八仙の遊び」と相なります。


興が至って、一同は琵琶湖に舟を漕ぎ出し、いまの西武百貨店の沖合あたりでしょうか、 月光に眺める三井寺の塔頭(たっちゅう)を望んで、舟上で今年の望月を詠んだ句が、


三井寺の門たたかばやけふの月


でした。今日の名月を、さあ、みんな、三井寺の門をたたいて、修行の僧たちに教えてあげなきゃ、と、 さほど強くない酒に酔った芭蕉の、少し浮かれた姿が、目に浮かびます。


三井寺と名月との結び付きは、謡曲『三井寺』によって古くから知られていたという人がいます。 また、この句は、中国・唐の詩人、賈島(かとう)の詩句 「鳥ハ宿ル池辺ノ樹 僧ハ敲(たた)ク月下ノ門」を踏むとされています。 初め、「僧ハ推ス月下ノ門・と歌ったのを、推スか敲クか吟味の末、「敲ク」と改めたという故事が、 推敲(すいこう)の言葉の由来となりました。


芭蕉は、古い中国の僧が月下にたたいたという門を、同じように私たちもたたこうという意を含ませたものです。


  仁王門
総門
芭蕉がたたこうといったのは、
どの門だったのだろうか
この夜の月見はよほど楽しかったとみえて、このあと、明け方に、一同は、今日の句会に顔を見せなかった 尚白(しょうはく)を柴屋町に訪ね、さらに堅田まで千那(せんな)を訪(おとな)っています。 しかも余韻はまだ尾を引き、その夜の十六夜の月も、堅田に宴席を得て、 浮御堂(うきみどう)で句をものしています。


  三井寺観月舞台
三井寺観月舞台。三井寺の名月
は古くから知られていた
鎖明(じょうあけ)て月さし入(いれ)よ浮御堂


現在、三井寺金堂(こんどう)正面左手の蓮池の前に、 御影石の自然石でつくられた「三井寺の門たたかばやけふの月」の横長の句碑 (縦80cm×横2m)が、樹齢一千年と伝える「天狗杉」と向かい合うように台座に据えられています。 平成六年、芭蕉没後三百年を記念して奉納されたものです。


揮毫(きごう)は現代の名筆、榊莫山(さかきばくざん)氏。焼酎「よかいち」のテレビ・コマーシャルでも なじみの、着物姿のあの人です。






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