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三井寺の門たたかばやけふの月(芭蕉)
の名句は、「近江の人と」でなければなりませんでした。
それは、好意的に物心両面で支えてくれる大津の門人たちとであり、
歌枕の地として、古歌に近江を愛(め)でた多くの歌人たちがいたことをも意識していたからです。
芭蕉の、近江に対する想いの深さが伝わります。
翌元禄四年の八月十五夜、中秋の名月には、新築なった木曽塚(義仲寺:ぎちゅうじ)無明庵で
月見の句会が盛大に催されます。かつて来、歌詠みにとって、旧暦八月といえば、
月の歌のみ詠み、月のみ心にかけたといわれるほどの名月だったのです。
乙州(おとくに)は酒樽を携えて、正秀(まさひで)は茶を持って参加し、芭蕉を喜ばせます。
句会は盛り上がり、風狂は尽くされ、「飲中八仙の遊び」と相なります。
興が至って、一同は琵琶湖に舟を漕ぎ出し、いまの西武百貨店の沖合あたりでしょうか、
月光に眺める三井寺の塔頭(たっちゅう)を望んで、舟上で今年の望月を詠んだ句が、
三井寺の門たたかばやけふの月
鎖明(じょうあけ)て月さし入(いれ)よ浮御堂
現在、三井寺金堂(こんどう)正面左手の蓮池の前に、
御影石の自然石でつくられた「三井寺の門たたかばやけふの月」の横長の句碑
(縦80cm×横2m)が、樹齢一千年と伝える「天狗杉」と向かい合うように台座に据えられています。
平成六年、芭蕉没後三百年を記念して奉納されたものです。
揮毫(きごう)は現代の名筆、榊莫山(さかきばくざん)氏。焼酎「よかいち」のテレビ・コマーシャルでも
なじみの、着物姿のあの人です。
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