西国三十三所観音霊場 第十四番札所
人の生涯が長くなって、定年後の人生設計を立て直すきっかけに、
夫婦でお遍路四国八十八所や西国三十三所巡りをする人が増えていると聞きます。
また、若い人たちの中にも、自分の将来に展望が開けず、
最初はスタンプラリーのような気分で始めた巡礼の旅が彼に確かな手応えを与えた話も。
春を迎えて、今日も、ここ観音堂は、御朱印を求める白装束姿の巡礼者で賑わっています。
全山、桜に包まれた三井寺観音堂。近畿一円に霊場を配す「西国三十三所」の第十四番目の札所です。
ご本尊は、端整なお姿の如意輪観音さま。三十三年に一度、ご開帳される当寺の秘仏です。
かつて本山が厳格な女人禁制の行場であったのに対し、この観音さまは一切衆生を済度してくださる、
とりわけ女性の味方として、多くの崇敬を集めてきました。
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巡礼の人たち
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もともとは、修験の行者たちの勤めの一つであった観音霊場巡り。
それが、中世以降、一般の人たちにも普及して、江戸初期には大流行を来します。
その後、さまざまな仏さまが、縁起のいい数、
結ばれて、東西あちこちに、いくつもの霊場巡りを誕生させました。
当山にも、ほかに「西国薬師霊場」(第四十八番霊場・水観寺)や
「湖国十一面観音霊場」(第一番札所・微妙寺)が置かれています。
高台にある観音堂の境内から見晴かす風景は、江戸時代、東海道沿いの景色の中でも最も美しいものの一つに数
みえられていました。遠くに近江富士三上山(みかみやま)を望み、その前に広がる琵琶湖上を、
矢橋(やばし)とこちらとを結んで、幾艘もの帆かけ舟が行き来する姿は、
まるで一幅の南画を見るようでした。京に上った旅人が、帰途についてすぐ、
お国の日本一の山に出会い、ふるさとの海に臨んで、望郷の念を高めたであろうことも無理からぬところです。
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東海道随一とうたわれた観音堂からの眺め (歌川広重/画・大津市歴史博物館所蔵)
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ところが、大津の街も、昨今は開発が進み、特に昨年(一九九八年)は市制施行百周年を迎えて、
大型施設の建設が相次ぎ、浜大津あたりの景観は一変してしまいました。
境内に残る美しさに比べて、東海道随一とうたわれた絶景がまるで失われたことは、
残念でなりません。緑や街並みといったものを大切にできないのは、
この国のまだまだ貧しい一面といわざるを得ません。
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現在の展望
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