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謡曲『三井寺』
俳句には二つの約束事があります。五・七・五を定型として十七文字に表現することと、
季語を一つ詠み込むこと。季語というのは、単に季節現象を表しただけの詞ではなく、
万葉や王朝以来の1000年以上にわたる日本人の美意識を洗練させた象徴の詞となっています。
花は春、ホトトギスは夏、月は秋、雪は冬。花といえば桜を意味し、満開の美しさはもちろんですが、
三分、四分の咲き初め、なかでも散りぎわの儚(はかな)さと潔(きよ)さを賞(め)でました。
朝の桜の清澄もよく、夕日に映える、光の中の桜もよろしい。
色や香、容姿の優雅さと、一陣の風に舞い散る桜のあわれと爽快さとは、
永らく日本人の魂の底に沁み込んできました。
一方、月といえば、秋の月。清涼な月のイメージです。
陰暦八月十五日の満月は「中秋の名月」として、初ものの芋や団子を供える風習がありますが、
俳諧では、八月の景物としては月をおいてほかにないとまでいわれました。
お月見に信仰の意味合いがあるのは、月が出る間際の空のほのかな明るみに、
左右に観音・勢至両菩薩を従えた阿弥陀如来の来迎を拝することができると信じたから、
というのが折口信夫(しのぶ)の考えです。
夜更けて出る月を神聖視して、十五夜を一番としましたが、
前日、陰暦八月十四日の月を待宵(まつよい)、
満月の翌日の月を十六夜(いざよい)などと称して信仰と観賞の対象としました。
さらには、十七夜は山の端に出る月を立って待つ気持ちから立待(たちまち)、
十八夜は居待(いまち)、
十九夜、臥待(ふしまち)、
二十夜、更待(ふけまち)、
また八月二十三日の二十三夜待とつづきます。
十三夜は、翌月の陰暦九月十三日の月をいい、枝豆や栗を供えてお月見する、最後の名月です。
満月は、昔から、人の気を狂わすといわれてきました。
科学的にも、地球と月との引力の関係で、満月の夜は引力が強くなり、
人体の七割を占める水分が影響を受けないはずがないと考えられています。
特に、脳内の水分の微妙な変化がです。
アメリカでは、殺人や放火、レイプといった凶悪犯罪が満月の夜に
きわめて多発していることが統計的に証明されていて、
ニューヨークやロス警察はこの日の夜の警備をより厳しくしています。
イギリスでも、古い法律には、満月の夜に法を犯しても減刑されるという条項があったといいます。
落度は本人だけのものでなく、満月の状況下にあったことが認められていました。
また、ラテン語でルナは月、あるいは月の女神の意ですが、ルナティックとなると精神異常や狂気を意味します。
能楽にうたわれる謡曲に、『三井寺』という狂女物の名作があります。
世阿弥の作とも伝えられています。
駿河国(静岡県)清見ケ関の女が、子買いにさらわれたわが子を捜し訪ねて、
京都・清水寺参籠の霊夢で三井寺へ参れと告げられます。
時まさに中秋の名月。三井寺では、住僧が弟子・千満らを連れて講堂の庭での月見に出ます。
そこへ、子を失った哀しみに心を乱した女が到って、名月に浮かれ、
龍宮から持ち帰ったと伝わる名鐘を、龍女成仏にあやかって自分も撞(つ)きたいと近づきます。
江戸時代も文化隆盛の頃、武士は謡(うたい)を、町人は浄瑠璃をたしなむことをステータスとしました。
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