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自給の生活

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筆者の妻の玄祖父の兄というのに富小路寛巽という人がいて、 三井寺第一五四代・山科祐玉長吏(住持職)の長吏代理を務めていました。 京都・聖護院の住職などを兼務しながら、寺内勧持院に住まいしていました。


明治三十六、七年、いまから100年ほど前の話ですが、この寛巽が肉を食らい、妻をめとっていたとして、 それが発端となり、寛巽−祐玉の間に派閥争いが起こります。 争議はだんだん拡大して、滋賀県庁から、果ては時の内務大臣・板垣退助の通達を仰ぐまでになりました。


仏門では肉食を禁じます。とりわけスリランカや東南アジアなどの南伝仏教の国々では、食べものを手に入れる ことに煩わされることすら禁止しています。すべて、布施によるとします。 日本でも米などは托鉢しましたが、副食となる山菜や野菜は自給していました。
 
山菜の新芽を
佃煮にして頂く

当山の各塔頭では、わずかながらも自前の畑が耕され、季節ごとの収穫を得ていましたし、 庫裡のまわりには実に多くの食べられる草木が栽培されていて、その恵みにはいまなお浴しています。
 
ウコギは、御飯に炊いても
佃煮にしても、おいしい

正月、今年一番にフキノトウが芽吹き、早春の香りを味噌にして頂きます。 やがて食べ頃となるウルイ(ギボシ)やミツバは、おひたしや和(あ)えもので。 タケノコの季節になると、蕗(ふき)、山椒が収穫でき、炊き合わせて頂きます。 それにウコギ科の、いずれも美味なタラの芽、ウド、コシアブラが山中に求められ、 山菜真っ盛りとなります。タケノコも、孟宗竹、真竹、笹ノコと時間を追って食べ比べられます。 そして、梅の収穫があります。
 
ちょうど食べ頃のウルイ。
和えものにして


筆者は、庭先にコゴミ(クサソテツ)とウドの数株を移植しましたが、毎年、新芽を吹きますし、 智証大師の御廟である唐院裏の沢に植えたワサビもだいぶ育って、花の頃の葉をおひたしにして頂きました。
 
株を移したコゴミが、
今年も芽吹いた

夏も涼風が吹く頃になると、茗荷が花盛りです。ミカン、キンカン、柚子、それに柿は、 どの塔頭にもおいしいものが植えられていて、もう古木になっています。


錦繍の秋、全山紅葉の山中を歩けば、至るところでキクラゲを見かけます。 ヒメキクラゲやアカキクラゲは、サッと湯通しして酢醤油で頂けば、酒肴の一品。 上光院の奥には巨大な椎(しい)の倒木があって、一面に天然のシイタケが傘を広げていました。 友人は、マイタケの大きいものを手に入れたといっていました。


寺内で採れた山菜や野菜は精進料理の材料となります。 精進料理については、長吏夫人・福家慶子様よりお手数(てかず)の料理をご教示いただき、 楽しみとさせていただいているとおりです。 ※こちら


余談ながら、富小路寛巽晩年の後妻は、寛巽の死後、雲井春海との間に男子を設けます。 彼は佐保山家の養子となって尭海と名乗りますが、春海、尭海ともに奈良・東大寺の管長を務め、 なかでも佐保山尭海は写真家としても知られた人でした。身内の者から聞いた話。 確かめたわけではありませんか。






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