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第十三番札所 石光山 石山寺今回の西国巡礼は、第十三番札所「石光山 石山寺」。三井寺と同じ滋賀県大津市にあり、距離も車でおよそ25分と、最もご近所にあたる札所の一つだ。いつもより少し遅い時間に集合したべんべん一行は、ワゴンに乗り込み取材へ出発。琵琶湖に沿って南東へ進んでいくと、湖の向こうの開けた景色の中にきれいな三角の山がぽつりとそびえていて一際目をひく。「あれは三上山べん。近江富士って呼ばれてるべん」と、べんべんが教えてくれる。筆者は高知出身の京都住まいで、近江富士を見のはこの日が初めてだった。「きれいべん?松尾芭蕉の俳句にも詠まれた名山べん。このあたりは芭蕉先生ゆかりの地べん」地元だけに、今日のべんべんは随分と饒舌である。「俳句は近江のナウなシティボーイの嗜みべん。芭蕉先生の影響べん。もちろんべんべんも俳句が得意べん。聞きたいべん?」と、目を輝かせながらこちらを見るべんべん。「別にいい」などとは決して言えない雰囲気だ。曖昧に返事をすると、さっそく一句詠んでくれた。 寺めぐり 近場は取材が 楽だべん ──べんべん 俳句というより川柳だが、べんべんの率直な気持ちが表れたわかりやすい一句だ。このあともべんべんは随所で俳句を披露し筆者を困惑させ、いや楽しませた。今回のレポートはそれらの作品とともにお届けしよう。 岩の上の観音霊場
車をさらに南へ走らせ、琵琶湖から流れ出る瀬田川に沿って進んでいくと、あたりは都市的な景観から木々の生い茂る静かな川沿いの風景へと一変し、その先に石山寺が見えてくる。到着すると、責任役員の鷲尾龍華さんがべんべん一行を出迎えてくださった。重要文化財の正門「東大門」をくぐって参道を進み、まずは本堂へ向かう。若き女性僧侶のご案内に、べんべんがどこかしらデレデレしている。石段を上る足取りも妙に軽やかだ。 石段を上りきると、目の前に炭色の巨大な岩山が波打つように立っている。「珪灰石(けいかいせき)」と呼ばれる鉱物の一種で、石灰岩が地中から出た花崗岩などのマグマと接触し、その熱作用のために変質したものだという。通常はこの作用で大理石になるものがこの形をとどめているのは世界的にも珍しく、大正十一年三月には国の天然記念物に指定された。「この上にお堂が建っているので、『石山寺』という名前になったんです」と、鷲尾さん。「なるほどべん。この躍動感には地球のエネルギーを感じるべん!」と、べんべんも圧倒された様子だ。そして一句。 軽快に 石段のぼれば 珪灰石 ──べんべん 字余りな上、地球のエネルギーが一ミリも感じられない駄洒落の一句であった。 観音信仰と文学の寺
「石光山 石山寺」は瀬田川の西側に位置する真言宗の大本山。天平一九(七四七)年、聖武天皇の勅願により東大寺の別当・良弁僧正が創建したと伝えられる。平安時代には貴族による「石山詣」が盛んになり、京都の清水寺、奈良の長谷寺と並ぶ「三観音」として信仰を集めた。また、紫式部がこの地で『源氏物語』の構想を得たことや、松尾芭蕉がたびたび訪れ多くの句を残したことなどから、文学の寺としても広く知られている。 現在の本堂は承歴二(一〇七八)年に消失したのち永長元(一〇九六)年に再建されたもので、滋賀県でもっとも古い建物である。昭和二十七(一九五二)年には国宝に指定された。御本尊は「如意輪観世音菩薩」。天皇の命令により封印された日本で唯一の「勅封秘仏」で、三十三年に一度だけ開扉される。平成二十八年に公開されたばかりであったが、今年は新天皇の即位を祝して特別拝観が行われており、運良くその御姿を拝むことができた。 本堂に入ったべんべんは観音さまに手を合わせ、法螺貝を吹き、堂内の納経所で「大伽藍」の御朱印をいただく。西国三十三所千三百年の記念印には紫式部が描かれている。堂内にはその紫式部が七日間参籠したという「源氏の間」があり、お堂の外からその中を覗くことができる。中には紫式部の人形や几帳などが置かれ、実際の執筆の様子が再現されていた。「あの世界的文学がここから生まれたとは感慨深いべん」と、べんべん。筆者もものを書くのでちょっとだけあやかりたくてしばし部屋を眺める。「物書きは大変べん。まあ、せいぜい頑張るべん」と、上から目線で励まされた。 むらさきに 並べなくとも お前なり ──べんべん 近江の大スター・べんべん
本堂を出て、今度は先ほどの珪灰石の上にそびえ立つ「多宝塔」へ。源頼朝により寄進されたと伝えられる日本最古の多宝塔で、こちらも国宝に指定されている。上層が円形、下層が方形の壁面を持つ二重の塔で、屋根の広がりと円形部分の細さのコントラストがきいて、非常に美しい姿をしている。 塔を眺めていると、下の方から「べんべーん!」と叫ぶ声が聞こえてくる。振り返って下を覗くと、べんべんの姿を見つけた小学生と思しき子どもたちの一団が岩山の下から歓声を送っていた。遠方の取材では自己紹介をして回るべんべんだが、このあたりではすっかり知られた存在になっているようだ。ライブ会場のような盛り上がりにべんべんもさぞやご満悦かと思えば、軽く手を振っただけであっさりその場を立ち去っていく。「べんべんはいま大事な任務の最中べん。軽薄なところを見せるわけにはいかないべん」と、硬派なコメントを残し次の目的地に向かうべんべん。その背中にはまだ「べんべん、出てきてー!」と叫ぶ子どもたちの声が響いていた。 べんべんの 背を見て子らは 育つべん ──べんべん 石山の秋月
多宝塔の奥へ行くと、琵琶湖方面が一望できる見晴らしの良い場所に出る。ここに、崖に張り出して立つ小さな建物「月見亭」がある。近江八景の筆頭に「石山の秋月」が挙げられるように月の名所としても知られる石山寺では、毎年中秋の名月の日に「秋月祭」が行われ、多くの参拝客がここから名月を楽しむという。月見亭の隣には、幻住庵(後述)にいた頃の松尾芭蕉が滞在したと伝えられる茶室「芭蕉庵」が立つ。「芭蕉先生も、ここから月を見ていたべんねぇ…」昼の取材であいにく月は見えなかったが、多くの文学者たちを魅了した風景を眺めながらべんべんもホッと一息。 月見亭を後にし、石段を下りたところで先ほどの子どもたちに遭遇。引率の方に尋ねると、石山小学校の生徒さんたちだという。興奮した子どもたちが歓声を上げながらあっという間にべんべんを取り囲む。背中を見せるどころか、子どもに埋もれてべんべんの姿が半分見えなくなってしまった。人気者なのは素晴らしいことだ。これからも近江の人々に愛される存在でいてくれることを願う。 囲まれて 目をふさがれて 撫でられて ──べんべん 近江名物しじみ飯
鷲尾さんにご挨拶をして石山寺を後にすると、ちょうどお昼時になっていた。「今日は絶対にしじみご飯を食べるべん。近江人のソウルフードべん!」とべんべんが猛烈に勧めてくるので、東大門前の「志じみ釜めし 湖舟(こしゅう)」さんへ。近江米のしじみ釜飯に、しじみの赤出汁、しじみコロッケ、しじみの時雨煮と、しじみづくしのおばんざいセットを全員で頂く。 赤出汁のしじみは琵琶湖産のセタシジミ。近隣の「石山貝塚」の発掘調査で、この辺りの人々が縄文時代からセタシジミを常食していたことがわかっている。まさにソウルフードだ。べんべんはおいしいご飯を瞬く間に平らげ、「しじみにはアルコールの成分を分解するオルニチンが含まれてるべん。酒を飲んだらしじみべん」と、『ためしてガッテン』のようなことを言いながらつまようじを歯の間にねじ込んでいた。 二日酔い ソルマック、否 しじみ飯 ──べんべん 二日酔いの胃に飯は重たいような気がする。せめてしじみ汁くらいでどうだろうか。 べんべん、近江富士を詠む
最後に、これもまたべんべんの強い希望により「幻住庵」を訪れた。『おくのほそ道』の旅の翌年、松尾芭蕉が四ヶ月間滞在したという庵である。俳句を嗜む近江のシティボーイやシティガールにとっては聖地と言っていいだろう。幻住庵保勝会の山田稔さんから芭蕉が記した『幻住庵の記』にまつわるエピソードを聞き、地元の学生たちが読んだ句を熱心に眺め、満足げなべんべん。そこそこ険しい道を登って山の上まで来た甲斐はあったようだ。「昔はここから近江富士が見えたそうです」と、山田さんが教えてくれる。今は木々に覆われて遠くの景色は見えないが、もしかしたら芭蕉の三上山の句はここで詠まれたのかもしれない。「せっかくだから、べんべんも三上山で一句詠んでみるべん」 三上山のみ秋知れる姿べん ──べんべん 丸写しな上にもとの意味が台無しだが、創造は模倣から始まるというからこれも良しとしよう。頑張れべんべん。私も物書きを頑張らなければ。 << 「べんべんと行く西国三十三所霊場めぐり」 |
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