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〔今回のテーマ〕シェイクスピア


最近の小説にもの足りなさを感じる人、『ロミオとジュリエット』の話は知ってても実際 には読んだことのない人へ、一度読んだらハマッてしまうシェイクスピアへの架け橋。

小田島 雄志『シェイクスピア遊学』
ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』
T・イーグルトン『シェイクスピア』

1).
シェイクスピアが面白い。この頃ぼくのささやかな人生に加わったのが、 シェイクスピア全三十七作品を楽しもうという目標である。とは云っても、 英文学を本気で勉強しようなどと思い立った訳ではない。 いっそのこと割り切ってしまえば、翻訳で充分。白水社から出ている小田島雄志氏の個人全訳版がよい。 新書版だから通勤電車の中でも(読もうと思えば)読める。

なによりも「文豪シェイクスピア」という名前や不朽の古典などと云った先入観を拭い去ってしまうことが 第一歩。それに彼の作品は、すべて芝居の戯曲である。それも貴族だけでなく ロンドン中の民衆がつめかけた劇場で上演されたものである。従って誰にでも楽しめなければ、 もとより商売にならない。だから専門的な難しい話はとりあえず学者に任せておいて、 先ずは気軽に楽しめばよい。現にそのように書かれている。

そうして彼の作品に接したとき、こんなに面白い作家がいたのかと、発見の楽しみを味わうことができる。 ここまでくれば、彼の作品が四百年にも亘って世界中で上演され、 読み継がれてきた理由もおぼろげながら見えてくるし、彼の天才を率直に実感できる。

それと忘れてならないのは、映画である。シェイクスピアの作品は映画化されているものも多い。 往年のローレンス・オリヴィエやオーソン・ウェルズをはじめ近年ではケネス・ブラナーが 自ら監督・主演して『ヘンリー五世』や『ハムレット』などを手がけている。 なかでも『から騒ぎ』は最高である。ポランスキーの『マクベス』も印象に残る作品である。 もちろん日本の黒澤明『蜘蛛巣城』(マクベス)や『乱』(リア王)は別格としても。

また、一昨年のアカデミー賞を受賞した作品に『恋におちたシェイクスピア』があった。 この映画は若きシェイクスピアを主人公にしたラブ・ロマンスに 『ロミオとジュリエット』の誕生秘話を絡めたロマンチック・コメディーである。 当時の演劇の伝統や劇場の様子については、 シェイクスピアが活躍した地球(グローブ)座の復元に努められた ウォルター・ホッジス『シェイクスピアの劇場』に詳しいが、 映画のなかに登場する劇場の場面なども当時の舞台の様子をかなり復元していて興味深く見ることができた。 ともあれ劇場へ足を運んだり、 映画を見たりとメディアミックスでシェイクスピアとつきあうことも無類に楽しい経験である。


2).
これは阿刀田高『シェイクスピアを楽しむために』からの受け売りだが、 彼の生没年は「一五六四(ひとごろし)年〜一六一六(いろいろ)年、五二年」と記憶すればよいそうで、 なるほど作品中で多くの登場人物を殺した彼にはふさわしい覚え方である。 たしかに『ヘンリー六世』や『リチャード三世』などの史劇の舞台となったのは 百年戦争(一三三八〜一四五三)や薔薇戦争(一四五五〜八五)といった戦国動乱の時代であった。 また、彼の生きた時代にしてもエリザベス女王(治世一五五八〜一六〇三)のもとで 英国ルネッサンスが大輪の花を咲かせる一方、新大陸の発見以降の西欧世界における各国の覇権競い、 それにキリスト教の新旧両派の対立が絡むなど、 まさに「中世から近代へ」と人々の世界認識が大きく変わっていく変革期でもあった。 いったいに一六世紀中葉から一六四二年の清教徒革命で禁止されるまでの約百年間に シェイクスピアをはじめクリストファー・マーローやベン・ジョンソンなどの天才を輩出し、 世界演劇史上稀にみる画期をなした「エリザベス朝演劇」であるが、やはり、 こうした時代背景と無関係ではあり得ない。

そうした意味でも、シェイクスピアを中心に興味を広げて エリザベス朝期の社会や歴史などを調べてみるのも実に興味深いことである。

とは云え、われわれ現代人がシェイクスピアを面白いと感じるのは、単に歴史趣味やディレッタンティズムから ではない。彼の作品自体が、現代人にも訴えかけてくるアクチュアルなものをもっているからに他ならない。


3).
先ずは、シェイクスピア作品の全訳という偉業を完成された 小田島雄志『シェイクスピア遊学』を挙げておきたい。 なんと云っても、ぼくらが身近な日本語でシェイクスピアを楽しむことができるのも ひとえに氏のお陰なのだから。また、氏の師匠筋に当たる 中野好夫『シェイクスピアの面白さ』や小津次郎『シェイクスピア伝説』もご併読をお薦めする。

さて、本書の特色はベケットやブレヒトといった 「現代演劇に光源をおいてシェイクスピアを見る」という氏自身の演劇への造詣の深さが 生かされているところにある。それはたとえば、 ジョン・オズボーン『怒りをこめて振り返れ』のジミー・ポーターを見る目でハムレットを見ること。 つまり、社会の中で自分の存在を規定できない、あるいは規定されることを拒否しなければ生きていけない自分、 伝統的な社会秩序に自分を当てはめることができない「内的カオス」をかかえ込んだ人物として ジミーとハムレットに近親関係を認めることである。 あの「太陽のせい」で殺人を犯すカミュの『異邦人』の主人公を思い浮かべてもよい。 ともかく氏はここにシェイクスピアの現代性を見ているのである。

ぼくたちはハムレットやマクベスのなかに自分自身を見出すというよりも、 自分自身のなかにハムレットやマクベスを見出して、熱く共感したり凍るように慄然としたりするのではないか。

ところで、小田島氏の翻訳は、蜷川幸雄氏が演出された実際の舞台などで 修羅場をくぐり抜けてきた保障済みの名訳であるが、 翻訳の過程で井上陽水から大きな刺激を受けられたという事実には驚かされた。 そう云えば「言葉の錬金術師」シェイクスピアの次々と繰り出す言葉遊びを 『アジアの純真』式のダジャレで受けたりと、あの自然な日本語による訳文の一つ一つが、 氏の洒脱な人柄と深い学識の結晶の賜物であると認識を新たにさせられた。


5).
一九一四年生まれのポーランドの学者・批評家である ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』も、 題名の示すとおり、やはりシェイクスピア劇がブレヒトなどの現代演劇と通底していることを指摘している。

シェイクスピアは、世界に、あるいは人生そのものに似ている。歴史上のどの時代も、 彼の中に、その時代が求めているもの、その時代が見たいと思っているものを、見いだすのである。

シェイクスピアの描き出す世界は、現実の世界、われわれの住んでいる世界と同じで 「いつも同じ、苦くて残酷でしかも魅力的な世界である。受け入れることはできないが、 そこからのがれることもできない世界」である。著者は近代合理主義的でロマンチックな見方を峻拒する。 世界や歴史が、理性や論理で動いていると考えるのは大きな錯覚にすぎない。世界は不条理なのだ。 従って、権力と王冠をめぐる闘争が繰り返される「シェイクスピアの史劇とは、 歴史の巨大なメカニズムの登場人物のリストのこと」に他ならない。

ある者は歴史を作り、自らその犠牲者となって倒れる。ある者は自分たちで歴史を作っている気になるだけだが、 これまた歴史の犠牲者となって倒れる。またある者は歴史を作りなどはしないのだが、やはり犠牲者となる。

もちろん、著者がシェイクスピアと共に見いだした世界観や歴史観は、 著者自らが体験してきたナチの暴虐や戦後の政治的混乱を極めた祖国ポーランドの歴史と無関係ではあり得ない。


6).
最後に本場イギリスから『文学とは何か』、『クラリッサの陵辱』などで日本でも著名な テリー・イーグルトン『シェイクスピア』を薦めておきたい。 本書は、現代社会に直結する言語、欲望、法、貨幣、肉体といったテーマを 横糸に現代批評理論を駆使してシェイクスピアを読み解いた著作である。

この手のアプローチは、得てして批評対象とする作家の個性を弱めてしまう危険性が潜んでいるのだが、 さすがにイーグルトンにかかっては、その手並みは水際立っている。 本書は言語化について細心の目配りがなされた現代文学理論からの典型的かつ明快な入門書となっている。

ハムレットが生きているのは、古い封建的主体の解体がはじまる時期だが、 封建的主体は、そのあとで変貌をとげる自分自身にまだ確たる名前を与えるまでにはいたらなかった。 同じように、いまわたしたちもまた、異なる主体形式に名前を与えられないでいる。 …わたしたちはハムレットとはちがって、ブルジョワ個人主義の歴史の最終産物であって、 その歴史を超える道をいま暗中模索しているところなのだ。まさにそれゆえに、 ブルジョワ個人主義の歴史の前か後かというちがいを超えて、ハムレットという(非)人物は、 シェイクスピアの他の悲劇の主人公の誰にもまして、わたしたちを魅了してやまないのである。

シェイクスピアの世界は、いまだ中世の伝統に従った「世界の劇場」であった。 しかし、彼が世界を、関節が脱臼した不条理の世界として表現したとき、 ヤン・コットによれば「それはもはや震災のあとの《世界の劇場》だった」のである。 そして、ぼくたちが生きている現在、水面下でもう一つの大地震が起きているのである。 これに否が応でも気付かしてくれるのが、シェイクスピアが現代人に盛った毒の正体であり、 不思議な魅力なのである。

(園城寺執事 福家俊彦)






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