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〔今回のテーマ〕海外ミステリ ムシャクシャする現代、映画や音楽、スポーツもいいけれど、たまには家でゆっくりと上質なミステリを読むのも何よりのストレス解消法。芳醇な時間を約束する傑作シリーズを味わう。
1). かつて哲学者の加藤尚武氏(京都大学名誉教授、鳥取環境大学学長)は、哲学者ヘーゲルに関する論文の冒頭を
「誰にでも青春の終わりはある」と書き出した。今から思えば読む方も気恥ずかしくなるようなフレーズであるが、その頃、卒業論文の準備のためヨタヨタとヘーゲルの難解な文章に翻弄され辟易していた当方にとって、この専門的論文としてはきわめて異例の書き出しは、妙にカッコよく感心したものである。論文の内容など肝心なことはすべて忘れてしまったけれど、このフレーズだけは不思議なことに二十数年後の今日まで消えることなく残っている。
それにしても、あの頃、熱中したことやそれなりに学んだことは、今の自分のどこに行ってしまったのだろう。時を忘れて読みふけった本にしても、今では内容や話の筋も忘れてしまった。もし本のエキスのようなものがあるとすれば、ぼくの心の中でどのように消化されているのだろう。自分の中をのぞいても杳として判然としない。それでもひとつだけハッキリしていることは、あの頃から変わることなく読み続けてきたある種の本があるということである。それは冒険小説であり、推理小説であり、SF小説である。 2). 本格推理の古典シャーロック・ホームズやクリスティーの作品なら、それまでにも読んでいたが、ぼくに海外冒険小説の面白さを教えてくれたのは、ほかならぬ内藤陳さんである。浅草を本拠に人気を集めた「トリオ・ザ・パンチ」のコメディアンだった陳さんは、一九七八年、某有名月刊誌に、彼自身の言葉で言えば「面白本」の読書案内、書評の連載をはじめられた。陳さんの熱い文章にひかれ、はじめて手にとったのがアリステア・マクリーンの『最後の国境線』であった。一読、こんな本が世の中にあったのかと目からウロコであった。マクリーンといえば、五五年に『女王陛下のユリシーズ号』で作家デビュー。次作の『ナヴァロンの要塞』は六一年に映画化され、グレゴリー・ペック、アンソニー・クインが出演して大当りをとった。その頃の彼は、すでに冒険小説の第一人者と目されていたが、やがて六〇年代から七〇年代にかけて彼とともに「御三家」を形成していくのが、『深夜プラス1』(六五年)のギャビン・ライアルであり、『鷲は舞い降りた』(七六年)のジャック・ヒギンズであった。
当時の日本で、この手の翻訳小説といえば『権力と栄光』や映画『第三の男』の原作者として戦前から知られていたグレアム・グリーンくらいで、ようやくジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』(六三年)が出て話題になった程度であった。なにしろレイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットのハードボイルド作家にしても、そもそもハードボイルドの意味とは固ゆでタマゴ云々と、真面目に解説がなされていた時代である。 かたや日本人作家に目を向けると、戦後間もない時代にあって日本人にとってリアリティーのある戦争や戦闘シーンが出てくる娯楽小説は書きにくかった事情もあり、冒険小説の書き手は皆無といってよい情況であった。 そんななかで日本のハードボイルド小説の草分け的存在となる生島治郎氏の『黄土の奔流』(六五年)が出て、ようやく戦後の和製冒険小説の幕開けを迎えることになった。 いずれにせよ、七〇年代後半になっても、現在のように、この手の小説が続々と翻訳されたり、日本人作家が林立していたわけではなく、新宿ゴールデン街の陳さんの酒場「深夜プラス1」から生まれた画期的な読書案内は、やがて多くのファンを集め、八一年には「日本冒険小説協会」が設立されるまでにいたる。もちろん会長は陳さん。連載された書評も『読まずに死ねるか!』としてまとめられベストセラーになった。陳さんの功績たるや大なるものがある。 3). 今回取り上げるのは、ぼくが、ここ三十年近く、毎年、新刊が出るのを心待ちにし、ハードカバーを手に家でゆっくりと読むのを何よりの楽しみとしてきた三つのシリーズものである。
先ずは、私立探偵スペンサー・シリーズ。著者のロバート・B・パーカーは、一九三二年生まれ。ボストン大学でハードボイルド作品に関する論文で博士号を取得、ノースイースタン大学で教鞭をとった学者さんでもある。 一九七三年に『ゴッドウルフの行方』でデビュー、四作目の『約束の地』でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀長編賞を獲得、八作目の『初秋』で人気を不動のものにした。日本では毎年一冊づつ出版され、二〇〇四年十二月の最新作『背信』で実にシリーズ三十一作目を数える。 わたしは、あなたが見つけうる最高の男であるばかりではない。現実に最高なのです。しかし、わたしが金のためにやらないことは、金のためにやることより、はるかにたくさんあります。 『ユダの山羊』
もうここまでくれば、こちらも腐れ縁のようなもので、このシリーズの何よりの魅力である絶妙な会話を楽しみながら、スーザンやホークといったおなじみの顔ぶれに出会うことがぼくにとって年中行事のようになってる。 4). 次は、ローレンス・ブロックの探偵マット・スカダー・シリーズ。このシリーズの特色は、アルコール依存症で警察を退職した主人公のスカダーが、一作ごとに事件を解決しつつ、自分は教会などで開かれる依存症からの回復を手助けするアルコホーリクス・アノニマス(AA)の集会に参加し、やがて依存症を克服、人生を再建していく個人の物語が作を追うごとに進んでいくという設定にある。
使徒セント・ポール教会の地下室で開かれているAAの集会に出た。その昔、妻も息子も、ニューヨーク市警の刑事の職も捨て、ニューヨーク市内にひとり住むようになった頃、セント・ポール教会に立ち寄り、その静けさの中に身を置いて、覚えておきたい人々、忘れられない人々のためにろうそくをともし、気前よく慈善箱に寄付金を押し込むという習慣が私にはあった。 『死への祈り』
日本ではアメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)長編賞を受賞した五作目の『八百万の死にざま』(八二年、日本版は八四年)が先に紹介されたが、第一作の『過去からの弔鐘』(七六年、日本版八七年)以来、こちらは年一作というわけではないが最新作の『死への祈り』(〇二年)まで十五作を数える人気シリーズである。九作目の『倒錯の舞踏』でMWA、十一作目の『死者との誓い』でPWAの最優秀長篇賞を受賞している。スペンサーものもそうだが、同一人物を主人公とし、それも一作だけでも面白く読め、かつ数十年も続くシリーズとして物語を支えていくには、魅力的な主人公の存在、それも主人公だけでなく脇役まで人間的にも掘り下げて描きこむことが不可欠である。 それだけでなく、物語の舞台となる場所、スペンサーならボストン、スタガーならニューヨークの街がどれだけ描かれているかも重要な条件となる。 ブロックは、一九三八年のニューヨーク生まれ。ノンシリーズの近作『砕かれた街』では、九・一一同時多発テロを背景にニューヨークに生きる様々な人々の姿を描いている。 それにしても「アルコホーリクス・アノニマス」のことは、この小説ではじめて知った。直訳は「無名のアルコホーリクたち」となるそうであるが、日本ではそのままか、AAと略して使われる。世界中で依存症患者を援助しており、もちろん日本にもある。 5). 先の二人より先輩格に当たるのが、ディック・フランシスの競馬シリーズである。彼は一九二〇年、英国ウェールズ生まれ。戦争中は空軍パイロット、戦後はプロ騎手となりエリザベス女王お抱えの騎手となる。一九五三年から五四年にかけて最多勝利騎手となったプロ中のプロである。この「わが生涯、最良の歳月であった」騎手時代のことは、彼の半生記『女王陛下の騎手』に詳しい。五七年に引退し、新聞社で競馬欄を担当しながら、六二年に『本命』を発表し、好評をもって迎えられる。
その後はほぼ毎年一冊、競馬に題材をとったミステリーを発表。最近ではさすがに年齢からか長編の発表はないが、二〇〇二年の最新作『勝利』で三十九作を数える。このシリーズは、『大穴』、『利腕』、『敵手』のシッド・ハレーを唯一の例外として主人公が作品ごとに異なっている。いずれも競馬の世界を舞台に、自己に厳しく、我慢強く、意志強固な実に感銘深い人物が登場する。三十九作すべて、競馬に興味のない人でも十分に楽しむことができる上質の大人の読み物となっている。 ジェニイは出ていった。…それ以来私は、結婚というものは片方がパーティが好きで片方が嫌いだから、というような単純な理由で破れるものではないことにしだいに気がついた。今では、ジェニイが華やかな雰囲気を求めたのは、彼女の心の奥底にあるものを、私が充たしてやることができなかったからだ、と考えている。そう考えると、私の自尊心や自信が崩れた。『大穴』
ということで、人が聞いたら笑われるかも知れないが、ぼくにとって「夢見る頃を過ぎても」冒険小説や推理小説の世界に没入できる時間を持てることほど大切なものはないのである。
最後になったが、スペンサー・シリーズと競馬シリーズを最初からすべて翻訳され、長年、無上の楽しみを提供していただいた訳者の菊池光氏には、心からの感謝を捧げる次第である。 (園城寺執事 福家俊彦)
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