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鬼瓦


西光寺(近江八幡市)の鬼面瓦


奈良に「鬼の会」という鬼の愛好会があって、毎年開く「鬼展」に、鬼を題材にした日本画や書とともに、鬼瓦制作の第一人者、小林章男さんの新作が出品されるのが楽しみだった。小林さんは、江戸時代文政年間から一七〇年続く「瓦宇」(かわらう)の七代目当主で、鬼瓦一筋の名鬼師である。


日本に百済から瓦づくりが伝えられたのは飛鳥時代といわれるが、そのときすでに鬼瓦の原形はあった。屋根を葺いたとき、そのままでは屋根の両端から雨や風が侵入するので、これを防ぐために、当時は蓮華文などを施した瓦を両方の棟端(むねばし)に置いて、実用と装飾を兼ねた。
 

西光寺(近江八幡市)の鬼面瓦


魔が降りてくるという
天を睨む狛犬




沖縄の赤瓦と
屋根シーサー
 
それが奈良時代になると、蓮華文の瓦に替わって、中国やインド、チベットなどで見られる獣神の面を刻んだ瓦が登場する。獣神は招福の神さま。インドやオリエントに起源を持つ獣神は、一般には唐獅子や狛犬に姿を変えて、中国から朝鮮を経て日本に伝わった。


沖縄で、赤瓦の屋根を葺き終えた瓦葺き職人は、最後の仕上げに、余った赤瓦のかけらと漆喰(しっくい)を使って獅子像をつくり、屋根の上に乗せて仕事を終えるが、この屋根獅子(シーサー)も唐獅子の変形。鬼門に向いて立ち、火災から建物を守る役目を担っている。


獣面瓦が鬼面瓦に替わるのは鎌倉時代の中頃である。「橘の寿王三郎吉重」という瓦大工が生みだしたと伝える。戦乱が多くなるこの時代、戦火から寺社を守るために鬼の魔力に頼り、魔除けとして鬼面瓦を置くようになった。鬼面瓦はインドにも中国にも韓国にもなく、日本特有のものである。




鬼とは、もともと人に災いをもたらす、目に見えない隠れたもの「隠」(おに)をいった。冬の寒気や疫病、貧しさなど、平安を乱す一切のものをいう。中国では死んだ人の亡霊が鬼で、人間に害を与えるし、韓国でも病魔を鬼と称している。


韓国の正月行事に「門排」(ムンペ)というのがある。鍾馗(しょうき)は中国の魔除けの神で、大きな眼に濃いヒゲをたくわえ、黒い冠を被り軍靴をはくが、鍾馗が鬼を捕まえた絵図を戸口の軒先に貼って、災厄を家の中に入れ込まないようにした。日本でも鬼瓦に対して鍾馗像を配し、睨みを効かさせているものがある。


しかし、日本の鬼は善鬼だという。地獄で亡者を追いやる鬼も、悪事を働いて報いなければならないのは亡者のほうであり、鬼はそれを導いているだけだと。節分の夜に「福は内、鬼も内」と唱えて豆まきをする地域も数多くあるし、農村の祭りでは鬼が主役の祭りも少なくない。鬼の魔力で人々に幸せをもたらせてもらおうとするからである。



藤の寺(日野町) の鬼面瓦




竜虎をあしらった老杉神社
(草津市) の鬼瓦

鬼面瓦が一般民家の屋根にも普及する江戸時代になると、鬼が隣から睨むといって嫌がられるようにもなり、鬼面瓦は、ありとあらゆる願いを込めた、多種多様な縁起柄の鬼瓦に替わる。思いのままの願いが叶うという如意宝珠や松竹梅、鶴亀に七福神。福助、天狗、また水流紋に鯉など。これを組み合わせたものも。


これが、鬼瓦の最終形である。






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