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中江藤樹の教え


▲日本最初の私塾、藤樹書院


 四国・讃岐のうどん好きは、店でも食べるが、製麺所の片隅で打ちたての麺をゆでてもらい、醤油やつゆをかけて食す。薬味はネギ、おろしショウガ、七味唐辛子。
 TV「どっちの料理ショー」にも出演した「池上」(高松市)のるみこばあさんの手打ち麺も、そう。納屋のような建物に、常連客が勝手に持ち込んだテーブルやイスを置き、セルフ・サービスでうどんを頂く。うどん玉七〇円、生卵三〇円、天ぷら一〇〇円。具は自分で勝手にとり、支払いも自己申告。自らが丸い皿に代金を入れて行く。 中江藤樹は江戸時代初期の儒者。日本陽明学の祖。近江聖人。陽明学は儒教の実践を説く(知行合一)(ちこうごういつ)。近江国高島郡小川村出身。愛媛・大洲藩士ののち、郷里に一人残した母への孝養のため、帰郷。生家で日本最初の私塾を開く。本名、与右衛門。屋敷内の藤の古木のもとで学問を教えたことから、門弟の誰いうともなく、藤樹先生と称される。

隣村の河原市宿に又左衛門という馬方がいた。馬方というのは、馬に旅人や旅人の荷物を乗せて運ぶ仕事。ある日、加賀の飛脚を次の宿場まで送り、帰って見ると大金が忘れてある。夜中、急いで道を引き返し、金を届けると、飛脚は涙ながらに喜び、この金がないと私の命がないところだったという。飛脚は礼金を申し出るが、又左衛門は、小川村の与右衛門さんの教えを守っているだけ、当然のことをしたまでだといって、受け取らない。あまり何度もいわれるので、又左衛門は、それでは、ここまで、もう一度、運んだ運賃だけをもらうといって、帰ってしまった。

 
▲中江藤樹画像

▲藤樹を知る藤樹神社


▲藤樹書跡「致良知」
 
中江藤樹の教えは「致良知」(良知にいたる)という言葉に代表される。良知というのは良心、美しい心。人は誰でも天から与えられた美しい心を持っている。しかし我欲によって曇らせてしまうので、絶えず磨きつづけ、鏡のように輝かせておく努力が必要。良知が明らかになれば、天と一体になって人生は安らかになる。

 良知にいたるには、日常、五つのことを心がければいいという。なごやかな顔つきをし、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、まごころをもって相手を思う。何より正直であることが大切と説く。

藤樹は生計のために酒を仕入れ、それを量り売りしていたが、塾が忙しくなったので、村人に自分で量り、自分で代金を計算して置いていくようにした。月末に精算したとき、酒の量と代金に狂いがあるということがなかった。また、村内で落としものがあると、それは必ず落とし主が捜し出されて、返されたという。江戸時代、そんな村があったのである。

  一〇〇年後、ある武士が藤樹の墓参の案内を野良の百姓に頼む。百姓は、途中、自宅に立ち寄り、正装に着替えて現れた。武士は自分への敬意だと思って喜んでいると、百姓は藤樹の墓前に正座し、頭を垂れる。武士は、一〇〇年経っても藤樹の遺徳が生きていることを悟る。






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