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京都府の新羅神社(3)


新羅大明神の額出石族とか出石人といわれている天日槍族が、但馬から熊野・竹野地方を含めた地域に拡がって大きな勢力を張っていたものであろうか。

山陰地方に四道将軍の一人、丹波道主命が遣わされたことは、丹後地方が早くから大和朝廷と政治的に密接に結びついていたことが考えられる。大和朝廷の全国統一の過程で、丹後地方をはじめ山陰地方に重点が置かれたことは、逆にこの地方に大和朝廷に対抗するほどの勢力を持った豪族が政治、経済に強大な権力を持って存在していたことを意味し、丹後地方に雄大な前方後円墳が残された所以を示すものである(『弥栄町史』)。

溝谷神社に掲げてある『溝谷神社由緒記』には次のように記載されている。

「当社は延喜式所載の古社にして、社説によれば、人皇第十代崇神天皇秋十月、将軍丹波道主命、当国へ派遣せられ、土形の里に国府を定め居住あり。或時、神夢の教あり、眞名井ノト(トはウラ又はキタとも云ふ)のヒツキ谷に山岐神(やまのかみ)あり、素盞鳴尊の孫、粟の御子を以って三寶荒神とし斎き奉らば、天下泰平ならんと。道主命、神教に従ひ丹波国眞名井ノトヒツキ山の麓の水口に粟の御子を以て三寶荒神と崇め奉る。其の御粟の御子は水口の下に新宮を建てて斎き奉る。因て、水の流るゝ所を溝谷庄と云ふ。溝谷村、字溝谷を旧名外(との)邑と云ひしは眞名井名ノトと云ふ字を外の字に誤りて云ひしものなりと。その後丹波道主命の子、大矢田ノ宿禰は、成務・仲哀・神功皇后の三朝に仕えて、神功皇后三韓征伐に従ひ、新羅に止まり、鎮守将軍となり、新羅より毎年八十艘の貢を献ず。

其の後帰朝の時、風涛激浪山をなし航海の術無きに苦しみしに、素盞鳴尊の御神徳を仰ぎ奉り、吾今度無事帰朝せば、新羅大明神を奉崇せんと心中に祈願を結びければ、激浪忽ち変じて蒼々たる畳海となりて無恙帰朝しけれぱ、直ちに当社を改築せられ、新羅大明神と崇め奉る。因て今に至るも崇め奉して諸民の崇敬する所なり」

「従って当社の創祀は丹波道主命の勧請によるもので、新羅(しらぎ)将軍大矢田宿禰の改築祭祀されたと伝えられ、今でも航海の神として海辺の崇敬篤く、現在絵馬堂にある模型船は間人漁師の寄進したものである」

溝谷神社本殿溝谷神社の由緒についての記載は、他にも見られる。『竹野郡誌』によれば、各文献の記述を次のように記載している。
溝谷神社村社字ヒツイ鎮座
『延喜式』溝谷(みぞたに)神社
『丹哥府志』溝谷神社は今新羅大明神と称す
『丹哥舊事記』
溝谷神社 溝谷庄外村
祭神 新羅大明神 素盞鳴命
延喜式小社牛頭天皇新羅国より皈朝有けるを祭りし神号なり、勧請の年暦いつよりと言事を知らず


三、その他の新羅(しらぎ)神社について

大宮売神社古代祭祀の地
当地方を訪ねるに際し、弥栄町の隣町に当る中郡大宮町字周枳(すき)の大宮売(め)神社(周枳の宮―祭神天鈿女(あめのうずめの)命・豊受大神)の宮司・島谷氏に教示を受けた。島谷氏によれば、「丹後には新羅大明神を奉祭していた社はあちこちにあったのではないかと思われます。……当地方の地名や伝承等からみると、古代朝鮮との係りを強く感じざるを得ません。……」。丹後地方は、古代渡来系(特に新羅系)の人々を中心とした文化が栄えた土地であったようである。

島谷氏の話によれば、大宮売神社のある土地の周枳というのは、スキ国=新羅国の意であり、竹野郡の間人から竹野川沿の中郡大宮町にかけては、弥生時代には竹野川文化圏を形成しており、古代に渡来した人達の文化が栄えた地域であった。いわゆる出石族・出雲族が居住していた。そしてこの一帯にはキのつく地名(内記、周枳)や、荒・新(安羅)などの地名が多い。周枳は又主木・周木にも通じ、古書には主木殿ありといわれている。

当地方からは弥生時代後期の遺跡が多く発見され、大宮売神社でも明治十二年に二の鳥居の下から壷や曲玉・勾玉が発見されたが、これらの品は祭事の跡(三世紀頃)を物語っている。大宮売の神は巫女(シャーマン)であり、曲玉や勾玉は木の枝につけて祈祀の道具とした。大宮は大国の意である。大宮売神社の周囲は濠となっていた。

大宮売神社のある大宮町は竹野川に沿って古くから開拓された地域であり、竹野川の丘陵地帯には多くの古墳が発見されている。大宮売神社には境内とその周辺から弥生時代から中世にかけての複合遺跡があり、大宮売神社遺跡といわれ、神社の周辺には左坂古墳群(九十三基)、外尾古墳群(二十四基)、新戸(しんと)古墳、宮ノ守古墳群、平太郎古墳群などがある。

大宮売神社の祭神は天鈿女命・豊受大神であるが、これは五穀豊穣を願う、いわゆる祖神である。そして当地の式内社は全部豊受神(天女の一人が豊受の神)、大宮女は八神の一座、機織と酒造り(風土記には比治の真奈井、奈具社)の神であり、丹波道主命米の稲作は天女が降り、奈具の社にとどまったことから、稲作民族が定住したことを意味し、これが祖神となった。なお、豊受神は九州から来たという説もある。

出羽弘明(東京リース株式会社・常務取締役)






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