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釈迦十大弟子(五)

迦旃延尊者(マハーカッチャーナ)

尊者の出自には諸説異論があって、はっきりしないところがあります。しかし、たいへん聡明な少年であったようです。また、兄も博学であったようで、大勢の人たちを前にして、バラモン教の根本聖典である『ヴェーダ』を講義したりしていました。迦旃延少年は、その講義を一度聞いただけで文言は言うに及ばず、内容まですっかり理解できたということです。これでは兄のプライドが許しません。

兄は弟を憎むようになり、ついには身の危険さえ危うくなったので、父親は迦旃延少年をアシタ仙人のもとに預けました。アシタ仙人とは、ゴウタマ・シッダルタ太子は長ずれば仏陀となるであろうと予言をした人物です。後年、予言通りこの世に仏陀が出現するのですが、迦旃延はその説法に浴そうとしませんでした。増上慢となっていたのです。

ある時、難解な偈文の解読をめぐる出来事がおこりました。自信満々の迦旃延でしたが、どうしても解き明かすことが出来ません。ついに釈尊に教えを請うことになりました。釈尊は慈愛をもってお答えになりました。

この出来事が契機となって、迦旃延は釈尊の弟子となり、後に論議第一の尊者と称されるようになりました。

優波離尊者(ウパーリ)

低い身分の出身で、理髪師を生業としていた優波離ですが、釈尊に願い出て、釈迦族の王族とともに出家が許されました。その中には、後に多聞第一の尊者となる阿難や天眼第一の尊者となる阿那律、そして教団にとっては反逆者となる提婆達多(だいばだった)もおりました。

この時、阿那律より「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日授戒の最初として下さい」との申し出があったので、釈尊は優波離を最初の授戒者とされました。そして釈尊は「出家以前においては身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別などはない」と述べられ、優波離を敬うよう諭されたそうです。

優波離はたいへん律儀な性格の持ち主であったようです。戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、持律第一の尊者と称されるようになりました。

尊者について特筆すべきは、釈尊滅後、大迦葉尊者の提唱により、王舎城 (ラージャグリハ)の七葉窟に500人の阿羅漢を集めて行われた第一結集(けつじゅう) (経典編纂会議)において、戒律部門を確認し纏める責任者として、出家比丘・比丘尼、教団が堅持しなければならない戒律の整備に尽力されたことでしょう。




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