|
|||
|
釈迦十大弟子(三)
摩訶迦葉尊者(マハーカッサパ)
幼名をピッパリといい、やはり裕福なバラモンの家系の出身です。将来は出家をと強く望んでいました。
結婚をすすめる親に対して、ピッパリはある条件を提示したのです。
その条件とは、純金で等身大の美しい女性を造らせ、それと同様な女性がいたならば結婚するというものでした。
ところが条件どおりの美女が見つかったのです。娘の名はバドラーといいます。
二人は結婚したのですが、ある時、ピッパリが畑仕事をしていると、土から出てきた虫が鳥にさらわれ、
食べられる光景を目の当りにしたのです。間接的にではあるけれど、殺生の罪を犯したことに気付きます。
このことが出家の決定的な動機となりました。
出家して八日目に阿羅漢果を得て摩訶迦葉尊者と称されました。
尊者は頭陀(ずだ)第一といわれます。頭陀とは衣・食・住にとらわれず、清浄に仏道を修行することをいいます。
後年、釈尊は摩訶迦葉尊者に「あなたも年老いたことだから、
いつまでも苦しい頭陀行をやることはない」と労りの言葉をおかけになるのですが、
尊者は「後人に教えるところもあろうかと思いまして」と答えたといいます。
釈尊なき後の教団を統率した尊者でもありました。
阿那律尊者(アヌルッダ)
アヌルッダは釈尊と同じく釈迦族の出身で、釈尊の従弟だといわれています。
釈尊が祇園精舎で説法をされている最中、アヌルッダは不覚にも居眠りをしてしまいました。
釈尊に「あなたは道を求めて出家したのではありませんか。
それなのに説法中居眠りをするとは出家の決意はどうなったのか」と叱責された彼は、
それ以後は不眠・不臥の修行をしたといいます。それがもとでついには失明してしまいます。
釈尊は眠ることをすすめるのですが、かたくなに固辞します。
皮肉なことにアルヌッダはそのことによって天眼を得ました。すべてを見通すことができる智慧の眼を。
後に天眼第一と称される所以です。
こんな逸話が伝えられています。尊者が衣のほころびを縫おうとして、針に糸を通そうとするのですが、
どうしてもうまく通りません。そこで「どなたか私のために針に糸を通してくださいませんか」と言ったところ、
「私が功徳を積ませていただきましょう」と声がしました。その声はまさしく釈尊ご自身だったのです。
釈尊曰く「私だって幸福を求めて功徳を積みたいのだよ」と。
<< 釈迦十大弟子(二) | 「釈迦十大弟子(四)」 >>
・「仏教豆百科」一覧に戻る ・「教義の紹介」一覧に戻る |