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智証大師のことば

智証大師法語 / いつの日にか道業を修する『人命百歳よるはそのなかばをしょうす。即ちこれ五十年をげんごうするなり。五十年に就いて、その内十五以前は未だ善悪を知らず、八十以後はくらし、ろうすいこれつなるが故に老苦を受く。これより外に唯十五年有るのみ。この中にありて、外には則ち王官ひっぱく、長征遠防、或いは牢獄につながれ、内には則ちもんこのきっきょう衆事をひくみなもとなり。えいえいぼうぼうに不足を求む。かくのごとく推計するに、いつの時期にかどうごうを修することあるべきや。』 / (『生死本源集』)

【解説】
人間が百歳まで生きたとしても、その半分は夜であるから、 実際に生きて活動できるのは五十年である。

そのうち、十五歳までは善悪の判断も正確にはできぬし、 また八十歳以上になると老衰するから、実際は十五年位しかないことになる。 眠る夜の時間を入れても三十年だけである。

この短い期間に王や役人たちは、国外に遠征したりして戦いに疲れ、 時には牢獄に繋がれるものもある。 また一般の人々は、家庭や個人のことで、煩わしいことが跡を絶たない。 つねに満足することもなく、ただ忙しく日を送るのみである。

このようなことではいけない。 われわれは一生の間に、いつの日にか道業を修することができるであろうか。 すなわち、俗事をはなれて、寸時をも惜んで修行にはげむべきである。





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