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一代峯より泊瀬峯へ

大和東の山岳修行

室町時代の「笠置寺縁起」には一代峯(笠置山)より泊瀬峯(初瀬山)を経て長谷寺に至る修行についての記述があり、三井寺で出家した慶政が所持していた鎌倉時代の「諸山縁起」にも蘇悉地峯として一代峯(笠置山)のことが紹介され、峯間の宿所という長谷峯(初瀬山)までの三十の宿が記されている。

一代峯より泊瀬峯へ

現在では笠置寺より長谷寺に至る修行の道は全く不明であるが、笠置寺から長谷寺までの間に当山派の先逹であった寺院が連なっていることに注目し、ルートを推測して、通し駈けを試みた。

葛城にも根来寺、粉河寺、大威徳寺、神尾寺、施福寺、菩提寺、高天寺、茅原寺、転法輪寺等、多数の当山派であった寺院が峰や麓に多数存在しており、笠置寺より始まる道も、かつて興福寺の影響下にあり、のちに当山派を形成していった寺院の付近を通って長谷寺に至っていたと思われる。

南都焼き打ち後、興福寺出身の僧達による大和復興の影響を踏まえてルートを考えると、大きな要素であると思われるのは春日信仰である。

建久四年(一一九三)に興福寺から笠置寺に入った貞慶も春日信仰に厚く、笠置寺の般若台に春日社を勧請している。

そこで、笠置寺から長谷寺までの間の当山派であった寺院と春日山を含めて結ぶと、「笠置寺→円成寺→春日山→正暦寺→内山永久寺→龍福寺→長岳寺→三輪寺→長谷寺」もしくは「笠置寺→浄瑠璃寺→中川寺→春日山→正暦寺→内山永久寺→龍福寺→長岳寺→三輪寺→長谷寺」となる。

これらの地を平地のルートで繋いでみると大部分が、現在では「東海道自然歩道」や「山辺道」として多くの人に歩かれている古くからの道と重なる。

笠置寺〜長谷寺の間に、これだけ修験に関連する地がありながら、それらのラインから大きく離れることは考えにくいので、それらの地からそれほど離れず、山の中を出入りしながら進んでいたのではないかと推測して行程を組み立てた。

なお、御蓋山は禁足地であり春日大社主催の行事以外では登拝できず、三輪山も大神神社での受付をしなければ登拝はできない。三輪山の側には貞慶上人と親交のあった慶円の中興とされる平等寺があり、この寺も当山派の先逹であったが、御蓋山と三輪山は行程には組み込んでいない。

笠置山より円成寺へ

七時半に笠置寺を出発し、まず忍辱山円成寺方面、小田原山浄瑠璃寺方面のどちらに進むか選択する。

一代峯より泊瀬峯へ

峯間の宿所の最初に記される「楊 十丁字ウツタキ」とあり、楊は「柳」すなわち「柳生」を意味すると思われ、ウツタキは地名に打滝が現存する。打滝方面に出ると、柳生を経て、当山派の先達であった円成寺に至り、そのまま春日山に道が続くので、今回はルートを円成寺方面に設定したが、貞慶は浄瑠璃寺とも関わっており、中川寺成身院も天永三年(一一一二)頃、興福寺で学んだ円成寺の実範が開いた寺であり、両寺とも当山派の先達であった。

ウツタキから円成寺の間も柳生に接する山が連なっているのだが、現在は三つのゴルフ場が存在しており、山中の道を検証することは不可能であるため、平地の柳生街道で円成寺に向かう。これは東海道自然歩道として整備されている道である。円成寺には鎌倉時代に春日社が勧請されている。

春日山より桃尾の滝へ

十一時に円成寺に到着し、約一時間で春日山に至る。春日山には地獄谷石窟仏などがあり、奈良時代の僧達が盛んに修行したとみられている。春日山からは高円山方面に道が続く。この辺りには日本で初めて法華八講を行ったと伝わる岩淵寺があったとされ、笠置寺の法華八講は第三伝といわれる。

一代峯より泊瀬峯へ

岩淵寺跡伝承地付近を経て岩井川ダムに至り、ダムに面した斜面を登って茶畑へ抜けると、ほぼ通行されていない山道を通って十五時頃に菩提山正暦寺に出る。正暦寺は南都焼き打ちによって焼かれたが、興福寺別当であった信円が建久三年(一一九二)正暦寺に入って再興した。当山派の先逹であった寺院であり、清酒発祥の地としても知られている。

正暦寺から南に向かうと椿尾を経て岩屋に至る。南椿尾には室町期のものといわれる見事な磨崖仏がある。岩屋からは大国見岳に登る道があり、巨石群を通って十七時半に大国見岳山頂に至る。

一代峯より泊瀬峯へ

山頂には建物の礎石であったと見られる石が数点存在しているが現在は小さな社が祀られている。山頂から南に下ると、途中で当山派の先達であった龍福寺跡にある大親寺を通り、桃尾の滝に至る。

一代峯より泊瀬峯へ

この滝の水は石上神宮の脇の布留川に流れ、現在も水量が豊富である。

この辺りは滝本といわれ、石上神宮の元社とも伝わる石上神社もあり峯間の宿所に記される「滝本」「石上」ではないかと思われる。西には石上神宮の神宮寺であった内山永久寺が存在していた。内山永久寺は内山大僧正とよばれた興福寺大乗院第三世の尋範によって整備され当山派の先達であったが、明治初期に廃寺となり、現在では農地となっている。

滝本からさらに南下し、一八時半頃に天理ダムを通過して、龍王山に向かう。

一日目は日没時、雨の勢いが強くなってきたため一九時過ぎに龍王山山頂付近にて野宿。

龍王山より長谷寺へ

翌朝、五時に起床して三〇分程で龍王山山頂に至る。

龍王山西麓の釜口山長岳寺は弘法大師の創建とされ、興福寺末であった時代もあり、当山派の先逹でもあった。

長岳寺付近には崇神天皇陵や景行天皇陵など巨大な前方後円墳が存在しており、山辺道として知られる大和の東山麓の道が、古代からの幹線道路であったことがわかる。

山頂より笠方面に下り、六時半に笠荒神に至る。笠荒神は役行者の伝承があり、元伊勢の檜原神社より東に抜けた位置にある。

笠荒神から三〇分程で初瀬山の登山口に至り、さらに三〇分程登ると泊瀬之霊峯といわれる初瀬山の頂に至る。

初瀬山からは長谷寺に下る道があり、八時三〇分に観音霊場として名高い豊山長谷寺に到着する。長谷寺も興福寺末であった時代があり、また当山派の先達であった。

長谷寺の本尊は幾度も火災により焼失しているが、その度に長谷観音を信仰する人々の寄進によって像立されてきた。天喜二年(一〇五八)の像立供養では三井寺の明尊が導師を務めており、のちに行尊は西国三十三所巡礼を長谷寺から始めている。

以上が令和元年七月に行った笠置寺より長谷寺までの通し駈けである。この行程は個人的な推測によるもので、歴史的に歩かれたルートとは当然異なるものであるが、大和の東側は南都焼き打ち後、興福寺出身の僧達が活躍した大和復興で山岳信仰が新たな活力を得たことを感じられるエリアである。








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