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嶺に立つ神仏

光明山寺から笠置寺への道<千手岳山頂

大谷相模大掾藤原正次

修験者が先達を務め、平安時代、約百年間に亘って盛んに行われた熊野御幸では京都を出発して淀川を下り、大阪に上陸した後、道中で九十九王子をはじめ、様々な地で宗教儀礼が行われた。

参拝の地の一つである住吉大社には慶長年間に淀君が奉納したと伝えられ、度々、架け換えが行われてきたという太鼓橋がある。

御霊神社の狛犬御霊神社の狛犬

住吉大社の象徴的存在として有名な太鼓橋に飾られた擬宝珠には享和年間に鋳造を行った「大谷相模大掾藤原正次」という名が刻まれている。

「大谷相模大掾藤原正次」という名は「掾(じょう)」という官名を受領した大谷家の鋳物師が号した名前であり、大谷家は永禄年間の創業から代々続く鋳物師の家系である。

大阪市の御霊神社には数代遡った頃の元和年間に鋳造されている狛犬が現存しており、「大谷相模大掾藤原正次」が製作したことが、台座に刻まれている。

この狛犬は大阪府で最も古い青銅製の狛犬といわれ、第二次世界大戦時にも関ヶ原以前のものと共に貴重なものとして供出を免れたと伝えられている。


大阪仏立会奉安の仏像

このような鋳造を代々行ってきた「大谷相模大掾藤原正次」の家系を室町時代より継ぐ大谷相模大掾二十八世藤原隆義氏によって大正時代に鋳造されたのが、大峯の釈迦岳(一七九九米)山頂で修行者や登山者を迎える釈迦如来像である。

釈迦岳の釈迦如来像釈迦岳の釈迦如来像

大峯奥駈道では大峯史上随一の強力として有名な岡田雅行氏が前鬼から運び上げた釈迦岳の釈迦如来像、大日岳の大日如来像、椽ノ鼻の蔵王権現像の銅像が知られており、前田良一氏の著作で紹介されている。

岡田雅行氏は、台座だけでも百三十四キログラムと伝わる釈迦如来像を釈迦岳山頂に運び上げたことを死ぬまで誇りにしていたという。(「大峯山秘録 花の果てを縦走する」前田良一 大阪書籍 一九八五年)

この三体の銅像は、水嶋富三郎氏と中島一乗氏が発起人となった大阪仏立会によって奉安され、釈迦如来像は大正十三年八月に運び上げられたものである。

水嶋富三郎氏の知人であった大谷秀一氏は大谷相模大掾二十七世にあたり、大正六年に水嶋富三郎氏、中島一乗氏と共に奥駈を行った際に講婆世宿の理源大師像を現地で修善されており、釈迦岳の釈迦如来像にも大谷相模大掾二十八世藤原隆義氏と共に、その名が刻まれている。


大谷相模大掾二十八世藤原隆義氏

前鬼から登り詰めた太古の辻と深仙の間に位置する大日岳(一五六八米)は、鎖を伝って岩が連なる斜面を登る行場として知られ(現在は崩落の危険性が指摘されている)山頂には大日如来像が鎮座している。

椽の鼻蔵王権現像の銘文椽の鼻蔵王権現像の銘文

この大日如来像は釈迦岳の釈迦如来像と同じく藤原隆義氏が鋳造し、大阪仏立会によって大正十五年六月に奉安されたことが台座に刻まれている。

大峯随一の絶景といわれる椽ノ鼻には、右手を振りあげて三鈷杵を執り、左手を剣印として右足を蹴り上げる迫力のある蔵王権現像が祀られている。

蔵王権現像が奉安された正確な時期は不明だが、磐坐の左側には鋳造者の藤原隆義氏の名が刻まれ、前田良一氏の著作からも釈迦岳の釈迦如来像や大日岳の大日如来像と、それほど違わない時期に岡田雅行氏によって運び上げられたと考えられる。

妙光院の馬頭観音像妙光院の馬頭観音像

神戸市中央区の高台に位置する護法山妙光院の山門をくぐると、後ろ脚を跳ね上げた躍動感あふれる馬の上に立つ勇猛な尊容の馬頭観音像が現れる。

この青銅製の尊像を鋳造したのは、藤原隆義氏である。昭和八年に造像されており、境内には、同じく藤原隆義氏によって大正十四年に鋳造された地蔵菩薩像も祀られている。

妙光院では藤原隆義氏の素晴らしい鋳造技術で造像された巨大な馬頭観音像や地蔵菩薩像を緑豊かな境内で拝観することができる。

大谷家では、昭和期に名古屋城の金の鯱鉾を製作し、平成期の平城京の朱雀門復元では鴟尾や金物一式といった国を代表する大事業を行っておられ、室町時代から現代に至るまで時代を作り続けられている。


千手岳の尊像

大峯には、三体の銅像以外に前田良一氏の著作には紹介されていない大阪仏立会によって奉安された尊像がもう一体ある。

深仙宿から東を眺めると山頂に巨石が剥き出しになった千手岳(一三五七米)が見える。この千手岳山頂の手前に祀られる千手観音像である。

千手岳へは、訪れる者が少ないため道は不明瞭であるが、大日谷から斜面を伝って行くと到達することができる。

この千手観音像の背面には昭和二年に奉安されたことが刻まれ、台座には大阪仏立会の発起人、五鬼助義行氏、五鬼継義孝氏の名と鋳造者である藤原隆義氏の名が記されている。

運び上げた人物については不明であるが、やはり岡田雅行氏であろうと思われる。

千手岳の千手観音像千手岳の千手観音像

この千手観音像は谷に転落していたところ、千手岳を訪れた登山者達が偶然発見し、元の位置に戻されて現在も、化仏や持物に損傷がみられない繊細で優美な尊容で千手岳を訪れる者を迎えている。

巨石に覆われた千手岳の山頂に立つと、全周囲に素晴らしい展望が広がり、大日岳、釈迦岳、椽ノ鼻の方面も見渡すことができる。

大阪仏立会、五鬼家、岡田雅行氏や多くの人々の想いによって大正から昭和にかけて奉安された大谷相模大掾二十八世 藤原隆義氏鋳造の尊像は、険しい奥駈道を歩く人々を時代を超えて温かく迎え続けている。

(今号の記事作成においては護法山 妙光院 様、株式会社大谷相模掾鋳造所 様より様々な御教示を賜りました。厚く御礼申し上げます。)









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