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役行者の生涯


人間と自然との関係を見直す - 修験道の意義

修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教などの影響のもとに習合された日本独特の宗教です。 それは大自然そのものを神とし、その顕現を仏とし、霊山を修行の場として過酷な苦行を行い、 超人間的な験力をたくわえて衆生の救済を目指す実践的な宗教です。

この修験道発祥の源、開祖と仰がれるのが役行者(役小角)です。 そして日本中に分布する霊山のメッカとなったのが、役行者が開かれた熊野から吉野にいたる 大峰山系なのです。

現代にあっては日常の仕事から解放され、山に登りきれいな空気を吸い心身を鍛えることは何より大切なことです。 ひたすら山に登ることは自然と一体となり、自然の懐に抱かれることです。 大峰山に何回も登ることによって、われわれ人間も、山に生きる動物や虫、樹木、草花と同じ一つの生命として 大自然の中に生きていることが自然に体得されるようになるのです。

ことに現代のように自然破壊や環境汚染が進行している時代にあっては自然の宗教である修験道と開祖役行者の 足跡を振り返ることにはいっそう大きな意義があるのです。


ご誕生の奇端

舒明天皇六年(634)正月一日、大和国葛上郡芽原郷(奈良県御所市芽原)矢箱村の高加茂氏の家にご誕生。

母がある夜、天空に金色に輝く金剛杵が浮かんでおり、これが静かに降りてきて 口に入ってしまうという不思議な夢をご覧になられてご懐妊されたと伝えられています。 また産室にはまるで蘭の花の部屋にいるような良い香りが漂い、手に一枝の花を握ってお生まれになられたといいます。


呪術、霊験、超能力

役行者は葛城山(金剛山)の岩窟で修行して孔雀明王の呪法を修め、 鬼神を使役して大峰山と葛城山との間に橋を架けさせようとしました。 また生駒山に住んで人を殺していた二鬼を調伏し、前鬼、後鬼と 名を与え家来とされました。

斎明天皇四年(658)25歳のときに箕面の滝の龍穴で龍樹菩薩の 影現にお遇いになり修験独特の灌頂の秘法を受けられました。


霊山を開く

葛城山では藤皮を衣として松葉を食物として修行に励まれ、また熊野から大峰山の深山に入り、 金峰山上で蔵王権現をご感得されました。

伝説によると大峰山はお釈迦様が説法をされた霊鷲山が衆生を済度するために 日本に飛んできた土地といわれ一乗の峰とも呼ばれています。

ことに大峰には金剛界・胎蔵界の諸尊が列座されていることから両部山とも申し上げています。 したがって葛城山を顕教(法華経)の峰、大峰を金胎両部の密教の峰として 現在も峰入奥駈修行が行われています。


ご入滅、昇天

役行者は文武天皇三年(699)に妖惑の罪、謀反の疑いをかけられ伊豆大島へ流刑となりますが、 ここでも様々な霊験を示され、夜になると富士山に登って修行されたといいます。 後に疑いが晴れ、許されて老母の待つ芽原の郷にお帰りになるや、 父母のご恩に報いるために大峰山に入り一千の塔婆を立てて供養をなさいました。

大宝元年(701)6月7日、御年68歳の時、 役行者は老母を連れ天上ヶ岳へお登りになり、 「本覚円融の月は西域の雲に隠るるといえども、方便応化の影はなお東海の水にあり」との ご遺偈をお残しになり、五色の雲に乗って母とともに天上にお登りになられました。 また一説には、唐の国に渡られたとも伝えられています。


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