未亡人メアリーはニューヨークの山中商会(日本美術の輸出商)に連絡をとった。 遺体はロンドンで火葬し、遺髪を日本へ送り、法明院に埋葬して欲しいと依頼する。 翌年その費用を東京美術学校が拠出し、墓碑が完成した。 法明院庭園の奥にフェノロサの墓地がある。戒名「玄智院明徹諦信居士」である。
時代は巡り、昭和五十三年、フェノロサ夫人メアリーの孫、ウィンスロー夫人を招く。 「フェノロサ来日百周年記念展覧会」が大津市教育委員会と園城寺(三井寺)の主催で開催されたのである。 ボストン美術館の協力を得てフェノロサが収集した日本美術の傑作、貴重な資料などを展示。 多くの人々が訪れ、フェノロサの偉業を再確認する機会となった。
また、日本におけるフェノロサ研究の促進、研究者相互の親睦団体「日本フェノロサ学会」も設立され、 学会機関誌「LOTUS」が毎年発刊されている。 研究発表会、講演会などを開催し、フェノロサの足跡をたどり、今も正しい評価への研究は続けられている。
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