学校の古典で習う平家物語の冒頭部分である。 誰でも一度や二度、口にした覚えがあろう。 平家物語は、古くから琵琶法師によって読み語り継がれた軍紀物語で、 作者や時代背景、どのような経過で今に伝わったか、定かでない。 平家一門の栄華とその没落、滅亡を、仏教の因果観・無常観を基調として描かれた一大叙事詩である。
平家物語の底本(翻訳・校訂などのもとにした本)は全十二巻あり、 前半では平清盛を中心とした平家勢力が急速にその力を伸ばし、中央政権に躍り出て栄華を極める様を描く。 清盛は保元の乱(1156)、平治の乱(1159)などで手柄をたて、 正三位に叙せられ、やがて中納言、大納言、ついには太政大臣従一位という地位にまで上り詰める。 また、平家一門はみな出世して、清盛の妻時子の兄、平時忠などは「平家の一門でない者は人には非ず」とまで豪語した。
清盛は天下を掌握すると、世間にはばかる事なく傍若無人な振る舞いをし、人心は離れ世は乱れた。
その平家政権に対して最初に反旗を翻したのは、 清盛によって鳥羽離宮に幽閉された後白河法皇の皇子、 高倉宮(もちひとおう:以仁王)と源頼政だった。 治承四年(1180)高倉宮は平家打倒の令旨(皇太子や皇族から出される命令)を発した。 令旨は密かに全国に伝えられたが平家方に漏れ、高倉宮は京を出て三井寺に逃れる。
源氏と三井寺との関わりは古く、源頼義は前九年の役(1051)の出陣に三井寺と新羅明神に参拝し武功を誓い、 その三男義光は新羅明神で元服。新羅三郎と称された。 このように源氏と三井寺の関係はたいへん深かった。 その三井寺が平家打倒の拠点となり、平家物語巻四「橋合戦」の壮絶な戦いへと続くのである。 |