壬申の乱で焼け落ちた、近江京がどうなったかもよく分かっていない。
後年、ここを訪れた柿本人麻呂は「ももしきの大宮所見れば悲しも」と詠むように急速に、
遷都以前の農村的状況に戻った。
大津宮の守り神的存在だった、四ヶ寺も、園城寺以外は跡形もなく消滅してしまった。その原因も不明である。
ただ、崇福寺(滋賀寺)にあった天智天皇の念持仏、十一面観音立像は、今も園城寺で手厚く祀られ、
天智・天武・持統の三帝の産湯に用いられた境内に湧き出る「御井の霊泉(みいのれいせん)」は世の移り変わりを今も静かに見守っている。
国家としての礎を築いた天智天皇。骨肉の戦いで敗れた大友皇子…。
神話と史実が交錯し、謎は一千数百年前の地中に埋まる。
古代史の夢とロマンをかきたたせる、近江大津京の謎は尽きない。
|