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天智天皇と壬申の乱


謎の遷都は突然行われた。

七世紀はじめ、広大な統一国家を形成した唐(中国)は、朝鮮半島にも進出しようとする。 朝鮮半島は、長く高句麗、新羅、百済と三国に分かれていた。 新羅は唐と手を組んで統一国家形成のため、百済に攻め入る。 もともと百済と日本は同盟関係にあり、百済の要請により朝廷は援軍を派遣。 百済・日本連合軍と新羅・唐連合軍は白村江(今の韓国、忠清南道の錦江)で交戦。 圧倒的な力の差で、百済・日本連合軍は敗退する。

新羅・唐連合軍の侵攻に備え、九州、瀬戸内海に多くの山城を築き防衛線をはる。 一方、瀬戸内海からの侵略ルートでは飛鳥(奈良)は ひとたまりもないと考えた中大兄皇子(なかのおおえのみこ:のちの、天智天皇)は内陸部の大津に都を移して国家の防衛を固めようとした。

六六七年、近江大津宮の成立である。昭和四十九年、大津市錦織地区に大規模な堀立柱建物跡が発掘された。 それによると、南北に整然と配置された建物や、内裏正殿(天皇の住む御殿)跡も確認されている。




大津市錦織二丁目にある大津宮碑。車で行くと見逃すほど目立たない所に建っている。

また、大津京成立と同時期に建てられたと思われる古寺四ヶ寺の遺構も発掘された。 都を取り囲むように、北から穴太廃寺、崇福寺、南滋賀廃寺、そして園城寺(三井寺)である。 いずれの寺でも白鳳時代の瓦や貴重な文物が出土している。 中でも崇福寺跡、塔心礎に埋められていた舎利容器には無文銀銭・銅鈴・硬玉(こうぎょく)などが入っていた。 当時、この地に渡来人が定着し、高度な文化を築いていたことを物語る。

大がかりな発掘現場。現在は埋め戻され、覆われた地面には雑草が生えている。


天智天皇の夢、統一国家の成立。

天智天皇は律令国家建設を推進。唐風の国造りを目ざす。 有名な漏刻台を建設し時刻を知らせたり、官僚の子弟を教育する大学を設置したりした。 また実子、大友皇子(おおとものみこ)に命じて日本で最初の戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を編成させ、 太政大臣に任命した。この事が壬申の乱の発端であった。

壬申の乱は皇位継承権のあった天智天皇の弟、大海人皇子(おおあまのみこ:のちの天武天皇)と実子、 大友皇子との戦いである。大海人皇子は大化の改新(645年)を兄と共に進め、豪族支配からの脱却を計るため、 蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺、蝦夷(えみし)を自害に至らしめる。


天智天皇が築かせた漏刻台の複製(近江神宮)。

大海人皇子は大化の改新の立役者であり、兄、天智天皇の良き右腕として二十年以上働いてきた。 当然、次の天皇は自分であると思っていた。 しかし、天智天皇は「庚午年籍」の編成などで着実に能力を伸ばしてきた実子、大友皇子を次期天皇に指名。 失意の大海人皇子は一時、世俗を離れ仏門に入る。

即位後わずか四年足らず、まだ完成をみない都大津宮をあとに、天智天皇は病死。享年四十五才であった。

弟と実子との本格的な跡目争いが始まる。吉野(奈良)に隠遁していた大海人皇子が挙兵する。 吉野、伊勢、美濃の豪族たちの協力を得、大津宮へと攻め入る。 朝廷側(大友皇子)は、まさか仏門に入った叔父が攻めてくるとは思わず、劣勢を強いられる。 最後の合戦、瀬田橋も大海人軍の勝利に終わり、大津宮は炎上。わずか五年という短命の都であった。

壬申の乱で敗れ、二十四才の若さで自害した大友皇子が、天皇に即位した記録はない。 後年(明治三年)当時の知事、籠手田(こてだ)安定の努力によって弘文天皇として追諡される。

籠手田は独自の調査、研究によって「弘文天皇御陵所在論」で園城寺境内にあった亀丘と呼ばれる古墳を弘文天 皇陵とした。現在の大津市役所裏にある。その籠手田安定の功績を讃える碑も園城寺境内にある。

弘文天皇陵大津市役所裏手にある。


神話から、史実の世界へ…

壬申の乱で焼け落ちた、近江京がどうなったかもよく分かっていない。 後年、ここを訪れた柿本人麻呂は「ももしきの大宮所見れば悲しも」と詠むように急速に、 遷都以前の農村的状況に戻った。

大津宮の守り神的存在だった、四ヶ寺も、園城寺以外は跡形もなく消滅してしまった。その原因も不明である。

ただ、崇福寺(滋賀寺)にあった天智天皇の念持仏、十一面観音立像は、今も園城寺で手厚く祀られ、 天智・天武・持統の三帝の産湯に用いられた境内に湧き出る「御井の霊泉(みいのれいせん)」は世の移り変わりを今も静かに見守っている。

国家としての礎を築いた天智天皇。骨肉の戦いで敗れた大友皇子…。 神話と史実が交錯し、謎は一千数百年前の地中に埋まる。 古代史の夢とロマンをかきたたせる、近江大津京の謎は尽きない。






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