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釈迦十大弟子(四)

須菩提尊者(スブーティ)

コーサラ国のバラモンの家系に生を受けられました。叔父さんは釈尊に「祇園精舎」を寄進した須達多(すだった)長者です。祇園精舎で釈尊の説法を聞き、深く感銘して釈尊のお弟子になったといわれています。

尊者は解空(げくう)第一と称されます。解空 とは、般若心経に出てきます「色即是空空即是色」の「空」、つまり、物事にとらわれない、執着しないという 教理に精通されていたからです。

ある時、釈尊が利天(とうりてん)にて亡き母・摩耶夫人のため説法を終えて、下界へ降りてこられるのを人々は我先にお迎えしようと待ち望んでおりました。しかし、尊者はじっと座ったままでした。そして真っ先に釈尊をお迎えしたのは 蓮華色比丘尼だったそうですが、釈尊は比丘尼に向かって「私を最初に迎えてくれたのはあなたではなく、須菩提尊者です。尊者は空を感じて私の法身を最初に拝謁したのですよ」と、いわれたそうです。

また、尊者は無諍(むそう)第一とも称されます。無諍とは言い争いをしないことです。穏和な性格で、教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。もっとも、和合僧の集まりを僧伽(さんが)(教団)というのですから、とりわけ模範的な比丘だったのでしょう。

富楼那尊者(プンナ)

告白してしまいますと、釈迦十大弟子という言葉に出会った最初は、私が仏門に入るずっと以前、学生時代に見た棟方志功展でした。その展覧会に志功の大作「釈迦十大弟子」が出品されていたのです。以来、私はすっかり志功ファンとなりました。

志功は「わだばゴッホになる」と言って、大正13年、21歳の時、青森から上京しました。後に版画とめぐり会い、昭和14年「釈迦十大弟子」を完成させました。志功が釈迦十大弟子を彫ろうと決心したのは興福寺の須菩提像に出会ったからだと述懐しています。さらに、「後で辞典を見ましたら、彫った顔だちと姿勢が恐ろしくなるほどビッタリばかりなのでした。智慧第一と呼ばれる舎利弗は、利口に頭が抜けていて、弁護士の大将みたいな富楼那は口を開いて舌までのばして説法しているのです」(棟方志功『板極道』)。

そうした目で志功が彫りあげた説法第一の富楼那尊者を見ますと、他の作品より動きがあり、腕を振り上げ、熱弁をふるっているかのようです。卓越した芸術家の感性は凡僧の比ではないことを思い知らされた感じです。後にこの「釈迦十大弟子」がビエンナーレ版画部門の金賞を受賞して、世界の棟方になりました。




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