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明治の求法僧 慧海(五)

ツァーラン村でセーラブ・ギャルツァン博士にチベット仏教を学び、勉学の合間には体力作りにも余念のなかった慧海は、この村に一年半滞在しました。ツァーラン村の夏の光景を次のように述べています。「麦畑は四方の白雪皚々たる雪峰のあいだに、青々と快い光りを放ち、そのあいだには輝く薄桃色のソバの花が、今を盛りと咲き競う」と。また、冬の光景を「ツァーラン村の東に並んでいる雪の峰々は、夕日の反射でサンゴ色に薄らいで黄金色となり、それもまた束の間に薄らいで白銀色になったかと思うと、青空はぬぐうがごとくに晴れ渡って一点の雲もなく、見とれているうちにおぼろ気に幽邃な高雪峰、いや兜卒天上の銀光殿かと思われる峰のあいだから、幾千万の真珠を集めたかのような月が光を放ちつつ、静かに姿を現して皚々たるヒマラヤの雪峰を照らす光景は、何ともたとえようのない光景である」と、いたって饒舌です。

  明治三十三年(1900)三月十日、いよいよツァーラン村を後にする時がきました。一年半もこの村で村人と生活を共にしましたので、慧海のことを知らぬ人はいません。それどころか、慧海をこの村に永住させようと、色々と策がめぐらされたようです。しかし、慧海はここに止まる訳にはいきません。目的地はチベットです。百人もの村人が村はずれまで見送ってくれ、慧海との別れを惜しみました。

  その後、雪山を越え、幾つかの村を経由してネパールとチベットの国境近くまでやって来ました。ポーターとはここで別れ、この先はたった一人でヒマラヤを越えていかなければなりません。しかも、30kgの荷物を背負い、空気の希薄な雪中を。そしてついに国境に立ったのです。明治三十三年七月四日のことでした。神戸港を出港してから三年の月日が経過していました。

  慧海が雪中何を食べていたかと言えば、麦焦しの粉をお椀に入れ、雪で溶いてバターを加えてこねて、それに唐辛子と塩をつけただけのものですが、その味は「極楽世界の百味の飲食もこれにおよぶまいか、と思うほどうまかった」そうです。

  『西蔵旅行記』には慧海がどの峠を越えてチベットへ入ったかの記述がありません。帰国後このことが入国自体の有無を問われることになるのですが、慧海が密入国であるので、敢えて証さなかったのではないかと解釈されています。しかし、チベットに入ったところに「周囲約八キロの長方形の池と周囲約四キロの丸い池があり、少し下がった所には瓢の形をした池」があると記しています。   (梅村敏明)




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