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明治の求法僧 慧海(六) 平成四年(1992)七月、根深誠は慧海の『西蔵旅行記』中の「三つの池」の記述をもとに、慧海がどの峠を越えてチベットに潜入したかを検証しようとしました。その結果、それはマリユン・ラであると結論づけました(『遙かなるチベットー河口慧海の足跡を追って』中公文庫)。「ラ」とはチベット語で峠のことです。つまり、マリユン・ラ峠の間道を越えて念願の地、チベットに入国したのです。
しかし、目指すところは首都ラサです。鎖国状態のチベットへ日本人が中国僧になりすまして入国しようと思えば、こんなに遠回りをしなければならなかったのです。インドのダージリンから一旦カルカッタへ戻り、ネパールのカトマンズ、ポカラを経由してさらに西へ西へと歩を進め、遂にマリユン・ラから潜入しました。 チベット領に無事潜入した慧海は、チベット仏教の聖地、聖山たるカイラス山(チベット名、カン・リンポ・チェ。標高6,656m)を巡礼しています。カイラス山はチベット仏教だけではなく、ヒンドゥー教、ボン教、ジャイナ教にとっても聖山とされています。 巡礼といっても、カイラス山に登るのではありません。聖山ですから何人も登山は厳禁です。麓の巡礼路に沿って聖山を遙拝しながら廻るのです。一周約52キロあるそうです。聖山の巡礼には約束事があって、仏教徒は右回り(右遶)で巡礼します。もっとも敬虔な仏教徒は五体投地礼で巡礼するのですが、なんと二週間もかかるのだそうです。 カン・リンポ・チェを仰ぎ見た慧海は「その雪峰は世界の霊場と言われるだけあって、ヒマラヤ雪山中の粋を集め、まったく天然のマンダラをなしている。その霊山の方向に対して、まず私は自分の罪業を懺悔し、百八遍の礼拝を行い、それからかねて自分が作っておいた二六の誓願文を読んで誓いを立てた」と記しています。ようやく聖山カン・リンポ・チェまでたどり着くことができた喜びと安堵の気持ちが伝わってきます。 巡礼路には幾つかの峠があり、いちばん高い峠はドルマ・ラで、標高は5,600m。希薄な空気に慧海も苦労の連続でした。 巡礼の途中知り合ったインドに帰る商人に、ダージリンにいるチベット語の恩師サラット・チャンドラー・ダース氏への手紙を託します。その手紙の中にはさらに堺の肥下徳十郎氏と伊藤市郎氏に、チベットへの入国と無事であることを知らせる手紙が託され、帰国後、手紙が両氏の許に届いていたことを確認しています。(梅村敏明) << 明治の求法僧 慧海(五) | 明治の求法僧 慧海(七) >>
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