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![]() 明治の求法僧慧海(八) チベット第二の都市シガツェのタシルンポ寺に十日間投宿した慧海は、首都ラサへ向かいます。明治三十三年十二月十五日のことでした。ラサへの途中にはヤムドク湖という非常にきれいな湖があります。標高は4,500メートル、大きさは琵琶湖と同じくらいだそうです。慧海は「湖水の南東から南西にわたって、高くそびえる豪壮なヒマラヤの雪峰が、巍然として妙光を輝かしている。そのすばらしい光景を湖岸の断崖の端に立って見ているうちに、私は無限の情緒がわき起こるのを感じた」と、感想を述べています。
![]() す。そしていよいよダライ・ラマ法王の宮殿、すなわちポタラ宮を目の当たりにします。 ポタラ宮はラサ市街地のマルポリの丘に建ち、その景観は壮麗かつ威容で、部屋数は2,000を超えるといわれています。しかし、公開されているのはその一部分です。入場に際してのセキュリティーチェックは非常に厳しく、パスポートの提示と手荷物のエックス線検査を受けなければなりませんでした。 ![]() 慧海が入学した当時、セラ寺には5,000人を超える僧侶がいたそうですから、問答をする声が寺全域に響き渡っていたことでしょう。(梅村敏明) << 明治の求法僧 慧海(七) | 明治の求法僧 慧海(九) >>
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