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明治の求法僧慧海(八)

チベット第二の都市シガツェのタシルンポ寺に十日間投宿した慧海は、首都ラサへ向かいます。明治三十三年十二月十五日のことでした。ラサへの途中にはヤムドク湖という非常にきれいな湖があります。標高は4,500メートル、大きさは琵琶湖と同じくらいだそうです。慧海は「湖水の南東から南西にわたって、高くそびえる豪壮なヒマラヤの雪峰が、巍然として妙光を輝かしている。そのすばらしい光景を湖岸の断崖の端に立って見ているうちに、私は無限の情緒がわき起こるのを感じた」と、感想を述べています。

 私が昨年、ヤムドク湖に行ったときは生憎曇り空で、慧海が眺めた光景には残念ながら巡り会えませんでした。慧海がラサに入ったのは年が明けた明治三十四年三月二十一日です。神戸を出航したのが明治三十年六月二十六日ですから、三年九ヶ月を要していま
す。そしていよいよダライ・ラマ法王の宮殿、すなわちポタラ宮を目の当たりにします。

  ポタラ宮はラサ市街地のマルポリの丘に建ち、その景観は壮麗かつ威容で、部屋数は2,000を超えるといわれています。しかし、公開されているのはその一部分です。入場に際してのセキュリティーチェックは非常に厳しく、パスポートの提示と手荷物のエックス線検査を受けなければなりませんでした。

 さて、慧海は念願の目的地であったラサに潜入し、セラ寺での試験に合格して修学僧侶として入学を許されました。もちろん身分を偽ってのことでした。入学試験は筆記試験と口頭試問それに経典の暗唱だったそうです。入学後の慧海はチベット仏教独特の問答形式による方法で修学しました。その問答形式の方法は、現在も受け継がれています。答える僧侶は坐っていて、その前に問う側の僧侶が立ち、両手でパーンと手を打って問いかけるのです。セラ寺の中庭ではそうしたグループがあちこちにでき、活発な問答が繰り広げられていました。内容が判らないのが残念ですが。

  慧海が入学した当時、セラ寺には5,000人を超える僧侶がいたそうですから、問答をする声が寺全域に響き渡っていたことでしょう。(梅村敏明)




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