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明治の求法僧慧海(九)

セラ寺で修学僧侶として日々修行に励んでいた慧海でしたが、ある時、小僧さんが腕の骨を脱臼したのを治してやったことから、それが評判となって病人が治療を受けに押し寄せてきたそうです。無下にもできないので「天和堂」という薬屋で薬を買い、患者に与えていました。貧しい人からは礼金も受け取らないので、生きた薬師様と慕われ、「ついには多くの高官や高僧が訪れるようになった」とやや困惑気味です。それはただ単に修行の時間が割かれるからです。

 しかし、その評判はダライ・ラマ法王にも及び、拝謁の知遇を得ることになるのですから、何が幸いするかわからないものです。七月二〇日、法王はポタラ宮殿ではなく、夏の間の避暑地、ノルブ・リンカ宮殿におられた。侍従医長の案内で法王の前に進み出た慧海は、恭しく三回礼拝し、法王は慧海の頭に手を乗せられました。そして法王 は「御前はセラにいて、貧苦の僧侶の病人をよく救ってくれるそうだが、実にけっこうなことだ。長くセラにとどまって、僧侶や俗人の病気を治してください」との言葉を賜った。

  その時の法王の装束と容姿について次のように記しています。「通常の僧服と違っている。もちろん二五条衣の絹袈裟をかけていたが、その絹袈裟の下は、チベットの羊毛のごく上等のプーツクで、腰から下にはテーマといって、シナ製の上等羊毛布で作ったもの、また頭にはりっぱな宝冠をいただいていた。そして左手に数珠を持たれ、御年は二六歳、御身の丈は一七〇センチくらいある。法王の御相貌は、俗に言うとなかなか利かん気なお顔で、目はキツネのようにつり上がり、眉毛もまた同じ形につり上がって、いかにも鋭いお顔をされている」と。

 慧海の名医としての名声が首都ラサ、第二の都市シガツェに広まるのに時間はかかりませんでした。侍従医長も慧海を侍従医として推挙したいというほどでしたが、もとより慧海は僧侶であって医者ではないので、勿論辞退しています。しかし、それ以降も患者はひっきりなしにやってくるので、天和堂で薬を仕入れることも多くなり、すっかり店の夫婦や子供達とも仲良くなって「家族同様の交際をするようになった」といいます。 (梅村敏明)




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