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日本霊異記(四) 『法華経』法師功徳品に五種類の修行法とその功徳が説かれています。五種とは、『法華経』を受持(じゅじ)し、読誦(どくじゅ)し、諳誦(あんじゅ)し、解説(げせつ)し、書写することをいいます。受持は『法華経』に説かれている教えを実践すること。または深く信じること。読誦は声を出してお経を唱えること。諳誦は覚えたお経を心の中で唱えること。または経本を見ないで唱えること。解説は『法華経』に説かれている教えを他の人に解き聞かせること。書写は文字どおりお経を書き写すことです。以上の五種の修行を行う人を「五種法師(ほっし)」と申します。 さて、『日本霊異記』に次のような説話が蒐集されています。「法華経を心に念じて常に唱え、この世で不思議を示した話」と題されたものです。 大和国(奈良県)に一心に『法華経』を唱えて修行する人がいて、この人は生まれながら利発であった。八歳になるまでに『法華経』を諳誦するほどであった。しかしながら、ただ一字だけはどうしても覚えられなかった。二十歳になってもやはりその一字だけは覚えることができなかった。そこで観音さまに前世の罪を懺悔し、罪悪の報いを免れようとしました。 ある夜、若者は夢を見ました。「お前はこの世に生まれてくる前の世では伊予国(愛媛県)の日下部の猿という者の子であった。その時、お前は『法華経』をよく諳誦していた。しかしある時、行灯(あんどん)の火で経文の一字を焼いてしまった。だからその一字だけ覚えることができないのだ。その家に行ってみなさい」と告げられました。夢から醒めて親にそのことを話し、旅の許しを得ました。 尋ね尋ねて伊予の猿の家にたどり着き、来意を話すと、まさに夢のとおりであって、目の前にいる二人が前世での両親であることをはっきりと理解するのでした。主人の猿は「死んだ子の名前はこれこれで、住んでいた堂はどこで、読んでいた経はこれで、持っていた水甁はこれでした」と示すのでした。 若者はその子が住んでいたという堂に入り、そこにあった『法華経』を開いてみると、どうしても覚えることができなかった経文の箇所が焼けて失われているではありませんか。経文の一部を焼いてしまった前世での罪を悔い、焼けた箇所を修復しました。するとどうしたことか、今までどうしても覚えられなかった『法華経』を完全に覚えることができたというのです。若者は今世において、前世とあわせて二人の両親に巡り会うことができたのも『法華経』を読誦し、諳誦した功徳だと確信するのでした。 (梅村敏明) ・「仏教豆百科」一覧に戻る ・「教義の紹介」一覧に戻る |