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役行者

修験道の祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)(634~701年)は大和国葛城上郡茅原(かつらぎかみのごおりちはら)(奈良県御所市(ごせし)茅原)に生まれました。幼い頃から仏道に帰依し、人並みならぬ力を発揮したと言われます。孔雀明王の呪法を会得して鬼神を自由に操り、使役したとも伝えられます。山に棲み、松の葉や木の実を食し、厳しい修行を重ねて偉大な霊力を獲得しました。彼は出家はせず、在俗の仏教信仰者であったため、役優婆塞(えんのうばそく)(男性の仏教信者)とも言われます。

前号までは『日本霊異記』を取り上げました。実はその上巻に「孔雀明王の呪法を修めて霊術を身につけ、この世で仙人となって天を飛んだ話」としても蒐集されています。

その説話を少し紹介しますと、役優婆塞は鬼神を駆使し、彼らをして、大和国の金峯山と葛城山との間に橋を架けよと命じます。快く思わない一言主(ひとことぬし)の神は文武天皇に「役優婆塞は陰謀を企て、天皇を滅ぼそうとしています」と讒言します。それによって彼は伊豆大島に流罪となります。

昼は勅命に従って島内において修行するのですが、夜になると海上を駈け、あるいは空を飛んで富士山で修行したというのです。まさに超人です。

天台寺門宗では修験道を修行の大きな柱としております。修験道とは深山に分け入り、自然の力、山の霊力を五感で感じ取り、自分自身が自然の一部であると会得することを修行の目的とします。毎年、大峯山奥駈け修行を行い、修験者は自己研鑽に努めます。

三井寺境内に行者堂と呼んでいるお堂があります。門には「神変大菩薩」と書かれた石柱が建てられています。神変大菩薩は役行者の尊称で、役行者没後1100年を迎える年に光格天皇より賜った諡号(しごう)です。

行者堂では毎年7月22日、本山採燈大護摩供が奉修されます。護摩壇点火に先立ち、山伏問答が行われます。「当道場の掟として、山伏の心得一通りお尋ね申す」から始まり、「修験道の開祖は如何に」の段で、旅の行者は「修験道の開祖は役行者、神変大菩薩なり。大和の国茅原の里にご誕生。御年19歳にして大峯山に修行(中略)、68歳にして天上ヶ岳より天に登り給いしなり」と答えます。

先月、伊豆半島に旅行に行った折、石廊崎で役行者像に遭遇しました。その姿は普段目にするそれとは違って立像でした。伊豆大島に流罪となった時の姿なのでしょうか。

(梅村敏明)



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