長大な軍記物語、『太平記』
この様な社会背景の中で『太平記』は記された。『太平記』は全四十巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、二代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで、文保二年から貞治六年(一三一八〜一三六八)を書く軍記物語である。
作者・成立時期は不詳であるが、今川家本、古活字本、西源院本など諸種があり「太平」とは平和を祈願する意味で付けられたと考えられる。その内容は三部構成で、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第一部(巻一〜十一)、建武の新政の失敗と南北朝分裂から後醍醐天皇の崩御までを第二部(巻十二〜二十一)足利幕府内部の混乱を描いた第三部(巻二十三〜四十)からなる。
太平記は中世から謡曲や浄瑠璃などによって語り継がれ、室町時代には太平記に影響され、多くの軍記物語が書かれている。また、江戸時代になると「太平記読み」による講釈で語られるようになり、庶民に大きな影響を与えた。
太平記全体の構想にあるのが儒教的な大義名分論と、君臣論、また仏教的因果応報論が基調にあり、宋学の影響を受けたとされる。後醍醐天皇は作中で徳を欠いた天皇として描かれているが、のちに水戸光圀は修史事業として編纂した『大日本史』には天皇親政をめざした後醍醐天皇こそ正統な天皇であると主張した。
これにより足利尊氏は逆賊であり、南朝側の楠正成や新田義貞などは忠臣として美化され、これがのちに水戸学として幕末の尊皇攘夷運動、さらに太平洋戦争の皇国史観へと至る。
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