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ストゥーパ

お釈迦様がお亡くなりになられたとき、ご遺体は荼毘に付されました。 そして遺骨(仏舎利)は八つの国の王に分骨されました。 遅れて来た二つの国の王には遺灰と骨蔵器を分け与えたと言います。 当時のインドはいくつもの小さな国に分かれておりました。

つまり、お釈迦様がお亡くなりになった後、十基のお墓が造営された訳です。 これがストゥーパなのです。ストゥーパはサンスクリット語で、 音写されて卒塔婆、略して塔婆、塔とも言われるようになりました。

後にインドを統一したアショーカ王が八分骨されていた仏舎利を回収し、 自らの手で今度は八万四千に再分骨したと言われております。 この時期になって、お釈迦様のお墓は一気にインド全土において八万四千基造営されました。 この頃のストゥーパは土を固めて半球形に盛り上げたり、 あるいはレンガや石を半球形に積み上げたりして、まるで饅頭のような形状をしていました。

インドのサーンチーには紀元前3世紀に造営されたストゥーパがあって、 周囲にはお釈迦様の前世の善行をモチーフとした本生譚(ほんじょうたん:ジャータカ)や、 仏陀の象徴としての輪宝、菩提樹、蓮の花などの見事なレリーフが残されております。

仏教がシルクロードを渡ってインドから中国に伝わりますと、お釈迦様の教えとともに、 建築、美術を始め、多くの知識、技術が中国にもたらされました。 当然、ストゥーパも盛んに造営されました。しかし、その形状は多層化し、方形化していきます。

そして、仏教が朝鮮半島を経て日本に伝来しましたのが、538年(552年との説もあります)のことです。 それでは日本で最初に建立された塔婆はどのようなものであったのでしょうか。 『日本書紀』に記された記録では、蘇我馬子が建てた「大野丘の北の塔」なのですが、 残念ながらその形状や規模は不明です。古代におきまして、お寺を建立する場合、 塔婆は境内の中心部に建てられます。それは塔婆が釈尊のお墓であり、 仏舎利崇拝の施設であるからなのです。時代が降るにしたがって、仏舎利崇拝から仏身崇拝となり、 塔婆は境内の中心部からだんだんと離れ、 その代わりに仏像を奉安する金堂がその位置を占めるようになります。 鎌倉時代からは塔婆はお寺のシンボルであるとともに、檀越の権威の象徴となってしまいます。

先日、法隆寺五重塔の心柱が594年に伐採された桧であることが、科学的に証明され、 建立年代に関わる話題を投げかけております。




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