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釈迦十大弟子(二)
目連尊者(モッガーラーナ)
神通第一とうたわれる目連もバラモンの裕福な家系に生まれ、
幼い頃より舎利弗(サリープッタ)とは仲のよい間柄であったこと、祭りに興じている人々を見て無常を感じ、
二人して出家を決意したことは、前号でご紹介しました。
幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。
後に教団内で神通第一の尊者として舎利弗尊者とともに指導的な立場にありました。
目連も釈尊のもとで修行に励み、阿羅漢果(あらかんか)(悟り)を得ました。
ある日、神足通(じんそくつう)(行きたいところに自由に行ける能力)という神通力によって、
亡き母はどうしているだろうかと捜しました。天界、人界、地獄…と。
そうしますと、母は餓鬼道にあって、身体は痩せ衰え、それはそれは哀れな様子でした。
目連は鉢に飯をもり差し出すのですが、母が口元へもっていくと、たちまち火炎と化して食べることができませんでした。
目連尊者は釈尊の元へ行き、事の事情を話し、どうすれば餓鬼道にいる母を救うことができるでしょうかと、
教えを請いますと、釈尊は「そなたの母は前世の悪行によって餓鬼道に堕ちたのです。
その母を救うには雨安居(うあんご)が終る日(7月15日)に
衆僧に飲食百味を供養することです」と諭されました。
教えに従って供養を尽くしたところ、目連尊者の母は衆僧の神力によって餓鬼道の苦悩から解放されました。
重ねて「世尊よ、もし未来世の一切衆生で孝養の心あるものが、この目連がなしたるように供養すれば、
父母を救うことができましょうか」と尋ねると「孝順の心ある者、父母を思い、7月15日に百味の飲食を供え、
亡き父母のため供養するならば、一切の苦から脱(のが)れるであろう」と申されました。
この故事により、父母報恩の盂蘭盆会が修されるようになりました。
また、こんな逸話も語り継がれています。釈尊がある法話に臨まれたのですが、
いつまで経っても始められないので、阿難尊者が「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始め下さい」と申しますと、
釈尊は「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。
そこで目連尊者が他心通(他人の心を見通す能力)という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、
その法座から追放し、改めて釈尊に説法を願ったということです。
初期仏教教団において、きわめて重要な地位にあった舎利弗尊者と目連尊者ですが、
ともに釈尊より早く世を去ります。釈尊の心中いかばかりであったことでしょう。
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