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明治の求法僧 慧海(十一)

医者として忙しい日々を送っていた慧海ですが、本来の目的である経典の蒐集にも積極的に取り組んでいました。経典を得るためには、お寺が保存している版木を刷らせてもらわなければなりません。それは自分自身で刷るのではなく、専門の刷り師を雇って行いました。チベットには店舗を構えた本屋はなく、寺院前の石畳に店をひろげた、いわゆる露天商であって、しかも、首都ラサと第二の都市シガツェのみであったといいます。ですから経典の蒐集にも大変な時間と苦労があったようです。

 そうして蒐集した経典はセラ寺に保管していたのですが、「読まない書物をそんなにたくさんどうするのだろう。実はあの人は遠い国から来ているのだから、あれだけたくさんな書物を持って帰ることはできはしない。博士だってあの人の持っている書物の三分の一も持っている者はありゃしない」と揶揄されているのを耳にした慧海は、それ以降、蒐集した経典はすべて大蔵大臣が提供してくれた屋敷内の自分の部屋に保管しました。

  明治三十五年(1902)五月十三日、第二の法王パンチェン・ラマがシガツェからラサに来ることになって、慧海も歓迎と見物のため出かけました。その帰りに寄った知人宅で事件は起こりました。

 法王の商隊長を勤めている男から「あなたはどうも奇態だ。私ははじめあなたをモンゴル人かと思ったが、どうも純粋のモンゴル人とも思われない。またシナ人かというとそうでもない。もちろん欧米人でないことはよくわかっている。いったい、あなたはどこのかたですか」と、単刀直入に尋ねられたのです。慧海が答えようとする前に、知人が「このかたは日本人です」と打ち明けてしまったのです。

 翌日にも「日本から坊さんが来ている。坊さんとは言うが、役人に違いない。国を探るために来ているのだ」との噂が立っているのを薬屋の奥さんから聞かされたのです。いよいよ自分の身分が露見しそうになってきたことを感じた慧海は、ダライ・ラマ法王に対して、仏教修行のためにチベットに来たこと、他の目的があって入国したのではないことを切々と訴えた上書を認めました。しかし、上書してもしなくても、身分が判った以上害があり、また、チベットで世話になった人々には大きな害は及ばないであろうとの判断から、この上書が提出されることはありませんでした。

出国を決意した慧海は、世話になっている大蔵大臣に日本人であることを打ち明けるのです。(梅村敏明)



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