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宝篋印塔
鎌倉中期以降から多くの作例がある石造美術品に宝篋印塔があります。中国から伝来し、日本で独自の石造宝篋印塔として発展したと言われています。
宝篋印塔は内部に『宝篋印陀羅尼経』を収めることからその名が付けられたものです。三井寺山内にある宝篋印塔は、観音堂に5基、勧学院に2基、一切経蔵に1基、唐院に1基(但し笠部のみ)の9基が点在します。 もう少し詳しい説明を加えますと、観音堂本堂の南側に東を正面にして3基の宝篋印塔が南北に並立して造立されています。3基の内、中央の宝篋印塔は享保2年(1717)に一空□(判読不可)を願主として造立されたことが判ります。塔身正面に「奉供養 妙塔一基 奉納 宝篋印神咒」とあり、その上にやや小振りな石を乗せ、東面に(アク・不空成就如来)、南面に(ウーン・阿如来)、西面に(タラーク・宝生如来)、北面に(キリーク・阿弥陀如来)の種字が彫られています。北側の宝篋印塔は明和7年(1770)の銘があるもので、塔身正面に「寶篋印塔」とあり、その上の石の四方は全て(ボロン・一字金輪仏頂)の種字が彫られ、基壇西面に「先祖代々 施主 矢嶋経常 妻名保」の銘があり、矢嶋夫妻が、先祖代々の追善菩提を願って造立したことが判ります。 南側の宝篋印塔には年号がありませんが、隅飾突起の形状から17世紀後期の造立とみることが出来そうです。基壇正面に「奉造 妙塔一基 奉納 寶篋印咒」とあり、塔身東面に(キリーク)、南面に(アク)、西面に(ウーン)、北面に(タラーク)の種字が彫られています。あとの2基の内、1基は客殿庭園内にあり、1基は裏坂と呼ばれる石段の中腹にあります。 勧学院の2基の宝篋印塔は客殿庭園にあります。残念ながら両塔とも年号がありませんので断定は出来ませんが、池の南側にある宝篋印塔の隅飾突起の形状を見ると、直立していて造りも大きく、鎌倉後期から室町初期の造立としてもいいのではないかと考えています。塔身は円筒形で、正面に如来形の彫刻を施し、基壇には正面と両側面の三方に格狭間を彫出するなかなかの秀品です。いずれにしても、三井寺山内に残る宝篋印塔の中では、一番古いものであることは間違いありません。 一切経蔵北側の1基は東を正面にし、塔身の東面には(ウーン)、南面に(タラーク)、西面に(キリーク)、北面に(アク)の種字が刻まれています。形式的に見て18世紀後半の造立と考えられます。この他山内には法華塔、五輪塔といった石造品もありますので散策してみて下さい。(梅村敏明) << 明治の求法僧 慧海(十三) | 六臂の如意輪観音 >>
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