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呂と律 声明の聖地、京都大原。その一郭に勝林院があります。長和二年(1013)寂源上人によって創建され、以来千年、大原の里に梵唄(ぼんばい)(声明)の響きが絶えることはありません。 声明(しょうみょう)とはお経の偈頌(げじゅ)(教えの内容を詩の形式で表した部分)に節を付けて唱えるもので、仏・菩薩の徳を称えるものが多いようです。独特の旋律はその後、浄瑠璃や謡曲、長唄など日本の古典音楽、さらには民謡、歌謡曲に至るまで、全ての音楽の元となったと言っても過言ではありません。 声明は慈覚大師円仁が入唐求法して我が国に持ち帰り、後各宗派に影響を与え今日に至っています。 その声明のメッカ、勝林院開創一千年紀を記念して、天台寺門宗(三井寺)を含め、実に十三の宗派が自宗に伝わる声明を慶讃法要として、去る10月5日から20日までの期間、ご本尊阿弥陀如来のご宝前にて奉修いたしました。寺門宗は長吏猊下を御導師に迎え、「胎蔵界曼荼羅供」を行いました。三井声明独特の「怒り節」が大原の里に響き渡った瞬間でした。恐らく一千年の長い歴史のなかでも、未だかつてなかったことだと思います。そういった意味でも今回の法要がもつ意義は大きいことだと言えるのではないでしょうか。法要には式衆のひとりとして私も参加できたことは望外の喜びでした。 さて、本題ですが、今夜はちょっと戴きすぎて、すっかりいい気分のお父さんたちが、家族や部下に意味不明の発言をしたりしますと、周りにいる人たちからはきっと「呂律(ろれつ)が回っていませんよ」とダメ出しが出されてしまうことでしょう。この時の呂律こそ、実は大原の里に流れる呂(ろ)川と律(りつ)川にその語源があるのです。 私たちが三千院門跡にお詣りする時、食事処やお土産屋さんが両脇に建ち並ぶ参道を過ぎた辺りに石橋が架かっています。呂川です。そして三千院門跡の御門を右に見てさらに北へと進むと、木製で朱塗りの橋が架かっています。律川です。その奥に今回の法要寺院である魚山・勝林院は位置します。律川上流には有名な「音無の滝」もあります。 川の名前が呂川であり、律川であるのは、声明の音調に「呂様」、「律様」があることに由来します。その違いをうまく表現出来ないでいるお坊さんの声明のことを本来「呂律が回っていない」というものなのですが、今では先ほど例を挙げたような使い方がされています。 翻って、今回の三井声明が呂川・律川のせせらぎと相まって上人のもとに届かんことを。 (梅村敏明) << 御札焼 | 年の瀬から新年の三井寺 >>
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