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家のネコ 去年の十一月、飼い猫のマイケルが死んだ。十年以上毎日、日課のように私の送り迎えをしてくれた。それが当たり前でずっと続くと思っていたので、今でも不意に名前を呼んでしまうときがある。 祖母が亡くなった時も、父が亡くなった時もマイケルはいつものように私のそばにいてくれた。私はマイケルにどれほど癒やされたことだろうか。今、私は一人になってそれを痛感している。 去年九月頃からマイケルは日毎に弱っていった。そして十一月のある日、マイケルは外に出たきり夜になっても帰ってこなかった。私は心配で必死になって探し回ったが、みつからないまま五日が経ち諦めかけていたが、夕方、家に帰るとマイケルが玄関先で横たわっていた。姿は泥だらけで今にも力尽きそうだった。次の日の夜中、マイケルは玄関のドアをひっかきながら大きな声で鳴いた。外に出してくれの合図だ。ドアを開けて外に出せば二度と会えないことは一目瞭然だったが、合図を続けるマイケルを見て私は「今までありがとう」とマイケルにいってドアを開けた。マイケルは必死に探し回っている私を見て最後のお別れをしに来てくれたのだろう。 マイケル、十年ものあいだ一緒にいてくれて本当にありがとう。どうか安らかに。 西坊信祐 << グリーン・コンシューマー | 井浦新さんからのメッセージ >>
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