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売茶翁の煎茶

遠来からのお客を京都や滋賀の観光名所に案内することがある。古刹、名刹ひしめく当地のこと、訪ねる場所には事欠かないが、いつも頭を悩ませるのが食事である。そこで案内するのが、ちょっとかわったところで宇治の黄檗山万福寺の普茶料理となる。

普茶料理は、江戸初期に黄檗宗とともに伝わった中国式の精進料理。同じ精進でも日本のものとは趣が異なり、植物油を多く用い、大皿に盛られて出されたのを小皿に取り分けて食べるのが珍しい。

万福寺は、隠元禅師を開山とする黄檗宗の大本山である。仏堂もすべて中国風の建築で、境内に一歩入ると独特の雰囲気に包まれる。その立派な境内の一隅にひっそりと建つのが、売茶堂である。煎茶道中興の祖と仰がれる売茶翁こと黄檗僧の月海元昭(一六七五〜一七六三年)を顕彰するお堂である。

売茶翁は、本名を柴山元昭といい、佐賀県に生まれた。十一歳で出家、諸国を遊学したのち郷里の龍津寺の住職となるが、五十七歳のときに突如として寺を捨て京都に上る。以後、東福寺や三十三間堂、鴨川のほとりに茶道具を担って質素な茶店を開き、道行く人に煎茶を売る生活をはじめた。漢詩をよくし、自らを世俗のことも仏道も放り出したコウモリに似た「売茶の一老生」と呼び、身は市塵にまみれても永遠で絶対的な「劫外の春」を求める自由な生き方を貫いた。

八十一歳を迎え、長年慣れ親しんだ茶道具入れを焼き捨て売茶の生活から引退。一七六三年七月十六日、八十九歳の長寿を全うした。

生涯清貧を貫いた売茶翁の生き様には、当時の社会や権威化した仏教界、茶の湯の世界への静かな批判があった。この精神は、その後の文人たちに引き継がれ、日本の文化芸術に大きな影響を及ぼした。

鮮やかな緑色の一煎のお茶、そこには永遠に変わることのない彼の清々しい心が映し出されている。


三井寺執事長 福家俊彦





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