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知足の心 三十数年前、御縁があって御室の竜安寺の近くに住んでおりました。竜安寺の庭には「吾唯足ることを知る」と刻まれた手水鉢があります。この手水鉢で身を清め、石庭の前にたたずみ、ただぼんやりと時を過ごした事を懐かしく思い出します。 人生につまずき悩み苦しんでいたとき、「『遺教経』に示されている知足ということを考えてみなさい」と、お坊様から教えていただきました。「足ることを知る者は、たとえ地上に臥してもなお安楽であり心豊かである。足ることを知らない者は、天堂に処すとも満足せず不平不満をもらす。富んでいても貧しいのである」という内容だったと思います。 それから後に三井古流に御縁をいただき、お稽古に通わせていただく事になりました。聖賢悟得修行と仏恩報謝を本旨とすることは、まさに知足の心そのものだと感動をしたことを覚えております。 暮らしは豊かになったけれど、これが本当の幸せでしょうか。何か大事なものを忘れてしまったのではないでしょうか。物の豊かさに慣れてしまい、知足の心を忘れてしまったのではないでしょうか。 私は初心に戻って稽古をおこない、人間として大切なものが何であるのかと自分自身を見つめ直す場として茶の道に励みたいと思っております。
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