蕪村の門下であった梅亭は南画家として山水画に秀でた才を発揮し、その作品も市中に多く残っている。
しかし大津で描いた美人画や大津絵などは、ふくよかでおおらかな線で描かれており、
梅亭の気さくで闊達な性格が表れている。
その余りある才能は、依頼者の好みによって画風を変え、俳画や動物画なども気軽に描くというものだった。
大津に移り住んだ梅亭は「湖南九老(こなんきゆう)」と落款することが多くなった。湖南とは、琵琶湖の南をさす。
梅亭の師、蕪村が敬愛してやまなかった芭蕉の影響と、大津で活躍していた芭蕉の高弟、千那や尚白の影響もあったと思われる。
また、九老とは、中国の有名な詩人白楽天が晩年詠んだ詩「九老図詩」による。
白楽天は李白、杜甫と並ぶ有名な詩人で、九老とは、白楽天と交遊のあった高官や詩人九人をいう。
いずれも七十歳を越え、悠々自適の生活を送りながらも、なお各々その道で活躍していたものである。
梅亭は「湖南九老」と落款することで、この大津を終の住みかにと思ったに違いない。
九賢人のように悠々自適の生活が送れ、いつまでも元気で好きな画を描く。
そして、世間の人々に喜ばれる……。そんな生活を実践していたに違いない。
大津に現存する梅亭の作品の数は、京都に残るものよりもはるかに多いという。
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