手広く大津そろばんを扱い、氏帯刀を許された片岡庄兵衛と同様、庄兵衛を名乗っていたのが小島庄兵衛であった。
もともと小島家は、小車という紡績機に用いる木製の滑車を製造しており、その製作では第一人者であった。
そろばん作りが盛んになるとコマ屋といわれる玉作りの専門業が派生し、そのコマ屋の旗頭が小島庄兵衛であった。
国道一六一号線と国道一号線が合流する付近、
京阪電車の踏切の前(逢坂一丁目)にある十六代目の小島庄兵衛(一馬)氏宅を訪ねる。
玄関には「大津算盤家元小島庄兵衛」の表札がかかり、一歩足を踏み入れると「一里塚庄兵衛」と彫り込んだ石標が目に入る。
当主、一馬氏にお話しを伺う。小島家では先々代までそろばん業を営んでおり、
祖父が使用した製作道具類が残されていた。(現在は大津市指定文化財として、歴史博物館に保管されている)
小島家には江戸時代後期に作られた大津そろばんが数多く保存されている。
大津そろばんの特徴は、竹製のヒゴが極めて細く、その形は繊細で優美。
しかも、釘や鋲、接着剤も使用せず、何百年も狂いが生じない組み方は、
「大津指し」と呼ばれ、門外不出の秘法であった。
サラリーマン生活を終え、悠々自適の一馬氏は、大津そろばんの収集・保存、またその歴史研究に情熱を注いでおられる。
現在全国生産高の八割を占める播州そろばんは、天正年間三木城の落城に遭遇し、
たまたま難を大津に避けた住人が、大津そろばんの製法を持ち帰り、播州そろばんが興ったという逸話も残されている。
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