浅村朋伸の「世界一周自転車旅行記」 三井寺ホームへ

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マレーシアからタイへ VOL.2

マレーシアのバイクはまるで暴走族だった。信号が変わると同時にけたたましい音でダッシュしていく。そのほとんどが日本の会社のバイクだった。日本のモノが海外に進出しているというのはやっぱり本当なのだ。町を歩くと見慣れた日本の会社名ですら新鮮な印象を受けた。

夜になって外を歩くと、コンビナートのようにビッシリと並んだ屋台街に人が群がっていた。騒がしい声と美味そうな匂いに誘われて、ついつい立ち寄ってしまう。屋台街の一帯は、熱気と活気に満ちていて、肉や魚、野菜、米など様々なものを扱った種類のメニューがあちこちの屋台に並んでいる。その中をきょろきょろしながら歩き、麺類を出す店を見つけてメニューを指差して注文した。こんな楽しいところで、こんなに美味いものを食べられるのだ。やはり海外旅行というものは、中々、魅力的なものだと感心した。

ジョホールバルを出発して地図を見ながら北へ走る。
異国の地図を見慣れないのと、新しい道路が建設されているせいか、道を何度も見失う。
夕方になって、ようやく辿り着いたバツパハットという町で宿泊することにした。ホテルがあるかどうか、ということが、ずっと不安だったが簡単に見つけることができた。
マレーシアは華僑が多いので町には漢字が溢れている。ホテルは「旅社」という看板の建物なのでわかりやすい。店の看板を見れば殆んどが何の店か理解できた。食堂や雑貨屋、薬局、銀行。およそ生活に必要なもの全てがある。マレーシアという国は本当に旅行しやすい国に思えた。町には何でも揃っていて食べ物は美味しいし、物価もそんなに高くはない。

マラッカ教会「人気の観光地だけあって賑わっている」バツパハットから、さらに北上するとマラッカに到着した。
町のシンボル、マラッカ教会は綺麗な紅色の建物で正面には1753年と記されていた。
マラッカ教会は人気の観光地らしく、旅行者が溢れている。シンガポールを出発してから旅行者の姿を見かけるのは初めてだった。シンガポールから随分、遠くに来たような気がしたが、まだ3日しか経ってないのが不思議だった。
昼飯を食べたあと、ホテルにチェックインして町をぶらついた。大きなショッピングセンターがあったので中に入って見た。スーツやカバンなどが売られ、日本のショッピングセンターとよく似た雰囲気である。中にあった、レコード屋に寄ってみると、ビートルズが売られていたので、つい買ってしまう。
夜になって旧市街を歩くと何かの祭りなのか、通りには、いくつもの柔らかな灯りの提灯が続き、夜店が並んだ旧市街を子供や家族連れがそぞろ歩いていた。僕は道に置かれた椅子に腰掛けてカールスバーグを飲みながら通りを眺めていた。古い映画を見ているように美しく幻想的だった。どの顔も楽しそうに見える。なんて平和な時間だろう。マラッカの夜は随分と素適だった。
ホテルのほうへ引き返して歩いていく途中、カラオケという看板がアルファベットで書かれているのを見てハッとした。バイクだけではない、カラオケも本当に海外進出しているのだ。テレビや新聞で知らされていることが事実だと知って不思議な感覚になる。
マレーシアの人間達はカラオケが日本で生まれたことを知ってるのだろうか?
自分はカラオケが生まれた国からやって来たんだ、と誰かに聞いてもらいたくなった。日本ではカラオケという看板を目にしても何も思わないが、ここでは自分が異邦人なのだということを再認識させられ、少し孤独感を覚えた。

マレーシアの道はさすがに両側がジャングルになっていて熱帯らしい巨大な植物が延々と続いている。途中で立ち寄るレストランや売店では、相手がおばさんだろうと英語が通じぬことは一度もなく、英語教育の水準の高さに驚かされる。

セレンバンという町について大通り沿いのホテルにチェックインした。窓からは、通りが見下ろせた。夜になったというのに通りからは、ざわめきが絶えない。
ベッドに寝転んで、静かになるのを待ったが、窓の外の騒がしさは止む気配がなかった。一体どうなっているんだ、と思って窓の外を見下ろすと往来が人で溢れている。殆んどは電球に灯された店に群がる買い物客のようだった。いつまで買い物しているんだろう。騒がしい夜の町。熱帯のエネルギーが充満しているように感じた。店は賑わっていて、人だかりができている。何でもっと早く買い物を済ませないんだろう。昼間は暑いからだろうか?
賑やかな空気が好きな僕は外へ出たくなった。
夜に外を歩くのは危険かもしれないと思ったが、買い物客に女性が多いことから、大して治安が悪くないことがわかった。バーゲンセールでもしているかのような店を見に行くと、靴や服が売られているだけで大したものが売られているわけではないようだった。夜の九時だというのに祭のような活気、熱気が溢れている。ここでは毎日がこうなのだろうか。やっぱりここは異国なのだ。

シャーアラン・スルタンアブドゥルアジズシャーモスクなるほど首都というだけあってクアラルンプールは随分都会だった。
きれいな建物も多いし高速道路も入り組んでいる。立体交差も多く、自転車で走るには、ややこしいところも多い。当初は首都に辿り着くというのでワクワクしていたが、こんなところを自転車でウロウロしていてもろくなことはない。あまり、ウロウロしていては道がわからなくなりそうだし、事故に巻き込まれそうだ。そう考えた僕は、452mもあるというペトロナスツインタワーを眺めながら、ナシゴレンを二杯食べて、さっさと、この町を後にした。
予定ではクアラルンプールの隣にあるシャーアランの町で宿泊を考えていたのだが、辿り着いてみると、シャーアランは整然と整備された近代的な都市で、どうもこの町には安宿というものが無さそうだった。1988年に建設されたという142.3mもある巨大なスルタンアブドゥルアジズシャーモスクがどこからも見える。白い壁に青いドームが鮮やかだった。この町の人工的な香りは人の歩く姿が見えないことからも一層、強く感じた。
間違いなく僕が必要とする安宿は存在しないことが確信できる。
グズグズしていては日が暮れてしまう。安宿を探すため、僕は急いで隣のクランという町へ向かった。クランの宿では宿主のおじさんが、どの道を通ってきたのか、とか、これからどこを通るのかとか、いろいろと質問してきた。質問に答えると、おじさんはこの道はいいぞとか、この町は歴史的な町並みがあっていいぞ、といったアドバイスをくれた。出会ったばかりの見知らぬ人に、こういう情報を提供してもらっている時、旅の楽しさを感じる。

旅慣れぬうちから、あまり寄り道もしたくなかったので、おじさんのアドバイス通りにルートは組むことはせず、トゥルキントンやタイピンを経てバターワースに到着した。バターワースからはリゾート地として有名なペナンがすぐそこであったが自分には寄る意味はないと思い素通りした。とにかく、まずはタイの首都バンコックに到着することだけで頭が一杯だった。観光や寄り道はそれからでいい。まずは第一目的地へ急ぎたかった。

道路沿いでは、よくパイナップルを山積みにした店を見かけた。立ち止まって、一つくれないか、と聞くとパイナップルは二つで60円という信じられない安さだった。買うと、その場で食べやすく切り刻んでくれる。やはり熱帯はフルーツ天国である。

パイナップル売り「その場でスイスイと切り分けてくれる」国境近くのアローセタールという町で自転車屋に入り、自転車のサドルを買った。どうも座り心地が不味かったので交換してみることにした。何しろ、これから、この旅は数千キロも続く。なるべく体に負担はかけたくない。
ここまで走ればタイとの国境は目前である。気持ちがどんどん先へ進む。

長い一本道を走り、夕方になって、とうとう、ブキカユヒタンという国境に到着した。
国境の役人達はどこから来たのか、どこへ行くのだ?と聞いた後、持ち物に怪しいものはないか?などと聞いてきた。役人達の質問攻めは、まさに国境のイメージ通りだった。シンガポールの出国はあまりにあっけなさ過ぎて国を出て行くという感じがしなかったが、ここでは、もうマレーシアともお別れなのだということがよくわかった。
国境のゲートの向こう側にはタイが見えた。華やかなネオンが明々と灯っている。マレーシアでは目にしなかったセブンイレブンの看板まであり、賑やかな音楽が鳴り響いている。
ゲートを隔てただけで、この違いは何だ?これが国境というものなのか?
日本では感じることの出来ない国境の空気に驚いた。
せっかく慣れた国を出て行くのは少し残念ではあったが、新しく入国する国に僕の胸はワクワクしていた。