ドイツとフランスの国境は雨の境界線のようなものだった。何となく、このあたりにあるという気はするが、目印になるような、はっきりした線引きは見当たらない。国境を越えたのだろうが、フランスに入ったという実感が薄かったので、あまり喜びを感じることもなかった。ここはもう、フランスだ、と自分に言い聞かせながら適当な時間まで走り、テントを張って寝た。
真っ暗なテントの中で目を覚ました。何時だろうと思って、暗闇の中、手探りでロウソクとライターを探し、灯をつけて時計を見ると、朝の5時45分である。まだこんな時間か、と思った時、テントを叩く雨の音がパラパラと鳴るのが聞こえた。朝から雨の音を聞いて、走る気を失ったが、明るくなるまで待っても、雨は止まなかったので、仕方なくメスの町を目指して、雨の中を走った。途中、ワインを買って飲みながら走った。寒さを紛らわすためにはこれが一番である。
フランスでは、コンビニを見かけなくなった。ガソリンスタンドも少ないし、殆どが閉まっている。ドイツと比べると、何かと便利が悪い気がする。フランスパンは切らないと、カバンに入らないことも不便だった。
翌日、メスに到着すると、町の中では、クリスマスの催しが行われていた。僕はポテトシチューを買ってコーヒーを飲んだ後、楽しそうな家族で賑わう町を出て野宿地を探した。いつものことであるが、泥だらけになりながら、雨の中でテントを張るのは気が滅入る。テントの中で、ロウソクに照らされた泥だらけの荷物を眺め、タオルで頭を拭きブレッドをかじる。テントを叩く雨音は止みそうに無い。ワインが無いとやってられない気分になる
入国から四日目になって、ようやく初めて晴れた。ワインを飲みながら走り、小さな町に入った。町を少し見た後、再び走り、途中白ワインとブリュチーズを買った。ワインを飲みながら走るのが癖になっているのかもしれない。翌日も晴れたので、パリに向かって順調に進むことができた。テントを張って、蝋燭に火をつけ、バッグの中から、昼に買っておいたワインを飲みながら、ナイフで薄く切ったサラミを食べていると、蝋燭が切れた。「もうちょっとでパリに着くっていうのに」と真っ暗なテントの中で思ったが「ここまで来れば、もう蝋燭は必要ないだろう」と思いなおした。
フランス入国から、一週間で、パリの目前まで辿り着いた。
「いよいよ明日はパリだ」
燭のない真っ暗なテントの中で、僕はプリングルスを齧りながら、今までの道程を思い出していた。長かったのだろうか、そうでもなかったのだろうか。インドのカルカッタから、ここまでそんなに距離がなかったように感じる。トルコ辺りからは、インドを走っていたときのように、時間が経つのが、遅く感じるということはなかった。それが旅に慣れたせいなのか、アジア独特の社会を抜けたからなのかはわからない。旅を始めた時は、パリに到達するまでに、どんなトラブルやアクシデントが待ち受けてるのだろう、と様々なことを考えたりもした。確かに、様々なことがあった。しかし、今、僕はパリの目の前にいる。
パリか、いい響きだな、と思いながら僕は眠った。
なんて美しい町なんだろう。予定通り、翌日、パリに到着した僕は、ゆっくりと自転車を押しながら歩いた。自転車に乗って走りぬけるなんて勿体無い。何もかもがまぶしく感じる。やっと来たのだ。僕はカルカッタからここまで来たのだ。
シャンゼリゼ通りは、ごったがえしていた。自転車で進むのは、億劫なぐらい買い物客や家族連れでいっぱいに溢れている。
「ビールを一本くれないか」と売店で値段を聞くと随分高い。
「随分、高いじゃないか」と文句をいうと
「だって、ここはシャンゼリゼだぜ。」
と売店の男は、笑いながら答えた。高くて当たり前じゃないか、といいたげな顔だ。
「そうだな、僕は今シャンゼリゼにいるんだ」
僕は、すんなり金を払ってビールを手に入れた。
ここはカルカッタじゃない。10ヶ月前にカルカッタのサルベーションアーミーでステファンと約束した通り、僕は自転車だけを使って、ここへやって来たのだ。エッフェル塔にタッチするために砂漠を越えてアジアから、このヨーロッパにやって来たのだ。僕は自分がここにいる理由を知っている。この瞬間を味わうために、ここへ来たのだ。そして、アメリカへ渡るために。
僕は、凱旋門をくぐった後、エッフェル塔へ向かった。なんて美しい塔なのだろうか。町が美しいからか、カルカッタからの旅路の果てに辿り着いたからそう感じるのか、わからない。美しいと感じることに理由なんてあるはずもないのだ。僕は、ゆっくりとエッフェル塔にタッチした。この瞬間、僕は自分の設定したユーラシア大陸横断を達成した。エッフェル塔に手を触れたまま目を閉じると、一瞬、何かをやり遂げた気にはなったが、手を塔から離すと、すぐに次のアメリカ横断に気持ちが切り替わった。ここはゴールではない。飽くまでも、目的は世界一周なのだ。
エッフェル塔にタッチした僕はユースホステルに宿泊して、翌日から、ニューヨークに向かうエアチケットを探して旅行代理店を回ることにした。チケットを探す合間に、ルーブル美術館へ行ってみた。
サモトラケのニケとミロのビーナス以外には、それほど興味があるわけではなかったが、一通り、館内を回った。モナリザは何が良いのかさっぱりわからなかったが、見たということには、とりあえず満足した。
パリに到着して三日目に、イタリア経由ニューヨーク行きの安いエアチケットを見つけたので購入した。フライトまで4日間待たないといけなかったので、僕は節約のため、パリの郊外で野宿することに決めた。アメリカへは、なるべく金を残しておきたいからである。ユースホステルをチェックアウトした後、夜になったので、野宿地を探すために自転車を押しながら歩いていると、教会でホームレスに炊き出しをしているところに遭遇した。随分美味しそうなシチューを配っている。旅行者は、一応、ホームレスには違いないが、もらってもいいのだろうか。
「旅行しているものですが、もらってもいいですか?」
僕はシチューを配ってる若い男性に訊ねた。
「はい、どうぞ食べてください」と言った後「あなたは日本人ですか?」と若い男性は、日本語で僕に訊ねた。「日本語が話せるのですか?」まさか、こんなところで、日本語を聞くとは思ってなかったので、びっくりして彼を見た。「少しだけです」と言った後、彼は日本語で皿を持って列に加わるように説明した。
「なぜ、日本語を話せるのですか?」
「日本の大学で半年間、勉強しました」
「半年間でそんなに話せるの?」
「でも、ぜんぜんダメです」
「いや、君の日本語は素晴らしいよ」
「あなたは、どこに泊まっているのですか?」
「ユースホステルに泊まっていたけど、チェックアウトしたから、今は、どこにも泊まっていないよ」
「よかったら、私の部屋に来ませんか?」
「いいのかい?」
「狭いですが、是非来てください」
彼はシチューを配るボランティアが終わった後、僕をアパートに案内してくれた。
彼はバルトシュという名前で、ポーランドからの留学生だった。現在はテスト期間中らしく、勉強に忙しいようだった。大阪の大学に半年間、留学していたらしく、日本のことをいろいろと知っていた。
「これを食べますか?」
と言って彼は韓国製のカップラーメンを僕にくれた。インスタントラーメンが好きな僕は、彼に礼を言って、それを食べさせてもらった。
バルトシュの部屋に居候している間、僕はイランで出会った韓国人のスゲにメールを送った。彼女はアメリカ人と結婚して、ニューヨークに住んでいるので、アメリカに来ることになれば、是非、ホームステイしてくれと言ってくれていたのだ。僕は彼女にアメリカ到着の予定を知らせて、彼女の住所を教えてもらった。それから、ニューヨークに住むロブの友人にもメールを送った。彼もまた、アメリカに来ることになれば、ホームステイさせてくれるというので僕はニューヨークでの滞在費については心配しなかった。メールなどの必要な用事を済ませて、僕はパリ三越に行ったり、ギメ東方美術館を訪れた。
美術館では東南アジアの仏像が数多く展示されていて興味深かったが、僕は、まず館内の椅子に腰掛けて、パリで買ったばかりの「サハラに死す」を一気に読んだ後、館内を見学した。バルトシュの部屋に戻ると、彼は黒沢映画を見たことがあるか、と訊ねてきた。僕が、「七人の侍」と「用心棒」以外は見たことがないと答えると
「一体どうして君は日本人なのに黒澤作品を見ないのですか?」と彼はびっくりしていた。
「そんなこと言われたって日本人全てが彼の作品を鑑賞したことがあるわけではないよ」
「でも君は見るべきです」
「そうだろうね。日本に帰ったら見ることにするよ。」
「いや、今すぐに見たほうがいいです」
そういって彼はテレビの横に置かれた何本かのビデオテープを取り出した。
「さあ、何から見ますか?」
驚いたことにアルファベットで書かれたタイトルは全て黒澤作品をはじめ日本製の映画ばかりであった。彼は勉強があるからと言って机に向かっていたので、僕は一人で「乱」を見た。映画を見終わると僕は、黒澤映画の素晴らしさをあらためて実感させてもらったことを感謝した。
いよいよアメリカへ向かう日、僕が出発する準備を整えていると「あなたは着る物が少ないでしょう。これを持っていってください」と言ってバルトシュは自分の大学のジャンパーを僕にくれた。テスト期間中にも拘らず、泊めさせてくれた礼を言って、僕は彼の部屋を出た。地下鉄の駅まで走り、構内で自転車を分解して梱包を済ませ、空港行きのホームへ向かった。ホームまでは15分程の距離だったが、荷物が重たかったので、階段に四苦八苦して一時間近くかかって空港行きのホームに辿り着いた。空港に着くと手押し車があったので、さほど苦労はなく、チケットの引渡し時間までソファで休み、荷物を預けると楽になった。
フライトの時刻が近づき、僕は飛行機に乗り込んだ。シートに座ると、ユーラシア横断がすでに過去のものとなり、気持ちは完全にアメリカ横断に切り替わった。金銭的、気候的な問題を抱えているので、きっとアメリカ横断は厳しいものになるだろう。いろんなことを考えるのも面倒だったので、僕はワインをガブ飲みして、ニューヨークに向かう機内で、ぐっすり眠った。
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